五年後の私へ


●今から五年後、生きていれば自分は24歳になっている。はたしてどんな道を進んでいるのだろうか。進みたい道がまだ見出せないでいる今、いくつかのケースを考え、予想をし、実際五年後にそうなっているかどうかという期待を込めてこのエッセイを書こう。
ケース1:公務員
父の後を追い、公務員になっているだろうか。国家公務員か、地方公務員か種別は関係なしに公僕として人々の役に立てているだろうか。おそらく景気は回復しつつあり、地方都市も活性化しているだろう。しかし、高齢化が進む中での社会保障対策、財源不足による消費税の増税など問題は山積みではないかと思う。社会に出て2年目、公務員は人事の異動が頻繁にあるため、きっとやりたい仕事ができないことや、理想と現実とのギャップに悩んでいるかもしれない。それでも自分に与えられた仕事にやりがいを感じられれば、それは天職だ。五年後には『公務員はリストラが無い』という時代ではないかもしれない。常に現状に甘んずることなく、自分を高め、社会に貢献できる人間になっていれば申し分ない。
ケース2:教師
中学時代、すごく親しくなった担任を見て教師を目指したことがあったのを覚えているだろうか。大学1年では教職をとらなかったが、もしかしたら教師としての道を歩んでいるかもしれない。自己分析をするに、小さい子供が苦手なため小学校の教師はやっていないだろう。理想としては高校教師になっていて欲しい。学校行事には生徒以上に熱血しているだろう。五年後はどんな科目があるのかわからないが、政治経済を教えたいと思う。そして卒業後も生徒との交流を大事にする教師であって欲しい。さらに言えば野球部の顧問にでもなれていれば文句は無い。ただし、若いからといって節度をわきまえず、セクハラなどで捕まるようなことは無いように。
ケース3:寿司職人
大学1年から始めた寿司屋のバイトがきっかけで職人を目指しているだろうか。きっと五年くらいの修行では1人前にはなれないだろう。しかし手に職を持つということはいつの時代にも生きていくための武器になる。頑張れ。店を出すときは、法政大学のエッグドームか、地元の高校の近くにしよう。常連さんが沢山来てくれるような老舗にしたいと思う。職人というのは女から見ても男から見ても格好良いものだ。粋な男になっていて欲しい。
ケース4:農家
実家の農業を継いでいるだろうか。祖父と祖母と母と4人で畑を耕しているだろうか。 現段階の人生設計としては、老後を楽しむために農業をやることを予定しているのだが、もしかしたら五年後に稲を育て、野菜を育てているかもしれない。実家の成東は変わっていないだろうか。農家の後継ぎが少ないため、田畑が廃れているかもしれない。しかし逆に考えればチャンスだ。遺伝子組換食品がもはや常識の時代かもしれない。最先端の知識と代々受け継がれてきた伝統を以って、農業で成功出来るかもしれない。日本古来の伝統を受け継ぎ、外国、特に米国や中国の輸入農産物に負けない農産物を作る農家になっていて欲しい。
以上4つのケースを考えてみたが、他にも数多くのケースを考えることになった。自分の期待としては自分でも想像できないような五年後であって欲しい。悪く言えば先を見据えていない、計画性が無いというわけだが、今はまだ視野を広げ、自分のやりたい事を探したい。まだ自分を型にはめたくないのだ。今から五年も経てば、科学技術はさらに進歩し、国内・国外の情勢も大きく変わっているだろう。ただ、どんな五年後になろうとも、これだけは誰にも負けないと誇れるものを自分の中で見つけ、努力し、身に付け、周りに流されること無く、自分の目で見、耳で聞き、そして自分の意思で生きていける人間になっていたい。

●五年後、つまり23歳の私へ。
 このエッセイを読んでいる私はいったいどんな環境にいるのでしょうか。茨城に帰郷し、役場に就職し、のどかに暮らしているのですか?それとも大きな夢を見つけて、ひたすらそれを追い続けているのですか?はたまた早くも結婚して、「幸せな家庭」を築いているのかもしれません。今の自分にはまったく想像ができません。  五年後の私は、大学生活を思い出すとき、いったいどんな感情にあるのでしょうか。「あの頃はよくがんばったな」、「大学で自分は大きくなることができたな」、「あの頃があったから今があるんだ」などのように大切な青春の思い出として、胸に大事にしまっているのですか?それとも「もっと本気になってやっておけばよかったな」、「視野が狭すぎたな」、「まだまだやれることがたくさんあったな」などのように後悔しているのでしょうか?
 自分は今、大学生活8ヶ月目のまだまだ新米の経済学部生です。週3日、朝5時に起きて、近くのコンビニへとアルバイトに出かけています。最近では体もすっかり慣れ、早起きも文字どおり朝飯前です。きっと五年後の私はもう少しだけゆっくり寝られているのでしょうね。バイトが終わると原付にまたがって大学へと急ぎます。入学してからはこれといった暇もなく、毎日何かに追われている気がします。こんな生活の中、今の自分は正直、不安と迷いでいっぱいです。大学卒業後のはっきりした目標も無く、大きな夢があるわけでもない。今までは目の前のことをただ一生懸命やってきた。そのときそのときでは、しっかりとした目標もあった。法政大学に入学できたのも、目の前の目標としてただがむしゃらに勉強した結果だった。別にその先を見通してのことではなかった。
 でもこんなに悩んだり迷ったりできるのも、大学生活ならではないかと最近は考えるようになりました。せっかくだから、とことん悩んで迷ってやろうと思っています。佐藤教授のゼミに応募させていただこうと思ったのも、とことん一生懸命やって自分が一回りも二回りも成長したい、そこで何か将来に対するヒントを見つけられるのではないかと思ったからです。高校のころ、がむしゃらに野球に勉強に打ち込んだ気持ちを忘れないためでもあったのですが。五年後の私はどうなのでしょう。高校の時のような、またはそれ以上の熱い気持ちを持って人生を生きているのでしょうか?今想像すると、何千何万通りの私が思い浮かびます。早く本当の五年後の私に会いたいです。
 ここで23歳の私に期待したいこと、つまり五年後までにやり遂げたいことをいくつか挙げておきたいと思います。
・経済学を学んだと胸を張って言えるようになること。
経済学部、そして佐藤教授のゼミに入ったからにはこの学問をしっかりと身につけたいと思います。
・パソコンを思いのままに使いこなせるようになっていること。
今はコンピュータ入門で習った最低限のレベルでしか使えてないけれども、自分の手足のように使えるようになりたいと思います。
・今よりも、もっともっと充実した生活をしていること。
今はまだ無い大きな目標に向かって進んでいたら嬉しいです。
・親孝行できていること。
これまでたくさんの迷惑や心配をかけました。できる限りの親孝行していたいです。
・幸せであること。
心から自分は幸せであると言えるようにいたいと思います。

 23歳の私はいったい大学、ゼミで何を得ることができたのでしょう。今の自分には無いものに出会っていたい、これから生きていく上で自分にプラスになるような何かを得ていたいです。
 これから五年間、おそらく沢山の出来事があるのでしょうね。楽しいことや辛いことも。でも一度きりの人生だから思いっきり楽しんじゃってください。
 がんばれ23歳の私!!
18歳の私より

●五年後、私は一体何をしているだろうか・・・。もし、五年後に私がこのエッセイを読み直したときのために、手紙形式で書いていきたいと思う。
 五年後の私へ・・・。25歳、社会人になっている私は、毎日を元気に過ごし、日々充実した生活を送っているであろうか。これを書いている今は、2003年12月26日である。昨日はクリスマスでもう2003年も残りあと一週間を切ってしまった。
 現在私は、大学1年生、20歳。日々、学校、サークル、バイト、遊びといった生活で、なかなか忙しい毎日を送っている。このまま順調にいけば、23歳で大学卒業、社会人2年目ということであろう。おそらくどこかの会社に就職はしているであろうが、この不景気のなか、果たしてちゃんと就職できているだろうか。親類や、サークルの先輩の話を伺っていると、どの人も就職活動で頭を悩ましており、2年後、今度は私の番だと思うと不安である。辛いではあろうが、今後の一生に関わることなので、頑張って就職戦争を勝ち抜いていこうと思う。
 私は以前、自己紹介文でも書かせていただいたように、父のような営業マンになることが夢である。まだ家族は持っていないではあろうが、たとえ、希望の職種に就けなかったとしても、父に負けないくらい頑張りたいと思う。会社側からしてみれば、雇っていただいているわけであり、働いてあげているわけではないのである。雇っていただいたことに感謝し、精一杯頑張っていこうと思う。25歳の私は、精一杯頑張っているであろうか。頑張れ私。
 そして、私を取り巻く生活環境も気になるところである。おそらく結婚はしていないであろう。仕事もまだ覚えたてで、大学生時代とは比べ物にならないくらい忙しい日々を送っているに違いない。きっと大学生時代を懐かしんで、あのころに戻りたいと思っているにではあろうが、頑張ってもらいたい。就職先は、地元の群馬に戻ることが親にとっても、経済的にも私に良いだろうが、やはり田舎のためか、就職状況は悪いようである。おそらく、このまま東京に残り、就職し、親が老齢になったら共に生活することになるだろうが、現在の今まで私が親に迷惑かけた分、いや、それ以上の恩返しを親孝行するという気持ちを忘れないでいるだろうか。
 また、健康にも留意してもらいたい。25歳ともなればまだ早いとはいえ、成人病、その他の疾患の心配も出てくるであろう。日々忙しい生活で、そんなところまで気が回らないかもしれないが、健康あっての身体、また私がいつまでも元気に健康に過ごしていくことも、親孝行の1つではないだろうか。そのためにも、きちんと食事を三食取り、規則正しい生活をし、そして、今やっているテニスをこれからも軽い運動程度で続けていってもらいたい。
 最後に、これを読んだ私に一言告げておきたい。将来この文章を読んで、五年前と今の私の志に変化はないだろうか。五年前の考えが本当に良いとは限らないかもしれない。それだったら、この文を参考にまた考え直してもらいたい。だが、言葉だけではなく、実際に実行に移すことも大切だと思う。五年前の私よりも、充実した生活を送り、たいした大人にならなくてもいい、ただ、私が誇れる「私」になってもらいたい。

●エッセイ「五年後の私へ」、つまり将来の自分へ語りかける手紙で、よくタイムカプセルを埋めるときにすることだ。ふとこのエッセイを書いているときに考えてみるととても不思議なことをしているように思えてくる。素直に考えてみれば未来の自分がどんなところで暮らしていて、どんな仕事をして、どれだけ幸せなのか、もしくはどれだけ悩みを抱えているかもわからないのに手紙を書く。不思議なことだ。しかし未来のことがわからない今だからこそ、かけることがあると思う。五年後になって、「あのときにあんなふうにしていれば良かった。」と思うときが必ず来ると思う。だから今、将来の自分の理想を書いて、将来の姿に近づいていけるようにするのもいいことだと思う。
 今から五年後ということは24歳でもうすぐ25になろうとしているころだ。大学を卒業して2年と少し経過しているはずだ。今でも周りからは十分に落ち着いていると言われるけれど、やっぱり五年後の自分は今とは別の落ち着き、大人としての渋さが出ているんじゃないかと思う。
 そして仕事もしているはずだ。今も思っていることだけど、仕事、つまり就職だけは妥協しないで自分のつきたい職業、やりたい仕事をしていてほしいと思う。転職などは繰り返したくないし、ずっと続けていく仕事だから。もし自分の好きな仕事に就けていたなら、五年後の自分は笑顔が絶えないでいるだろう。ちなみに今の時点で就きたいと思っている職業は、高校のときから洋服が好きなので洋服矢の販売員スタッフなどを考えている。いったい五年後はどんな仕事をしているんだろう。
 仕事をしているということは、実家を出て立派に自立もしていると思う。でも、今からできれば大学に在学中に一人暮らしをしようと思っているから、一人で暮らすことにも慣れているんじゃないかと思う。自分で言うのも変かもしれないけれど自分には潔癖症なところが少しあるから、部屋などはとてもきれい何時じゃないかと思う。料理も手馴れているんじゃないかと思う。つまり、立派に一人暮らしをしている社会人になれているだろう。
 そして最大の転機となっているだろうと思われるのが結婚だ。どうしてかはわからないけれど、なるべく早くに結婚して落ち着きたいと思っている。今の彼女と結ばれているのか、それとも違うのかはわからないけれど、あせらずにゆっくり決めてできているんじゃないかと思う。やっぱり結婚していたら仕事などもものすごく頑張っているだろう。あまり関係ないけれど、犬が好きだから家には犬を飼っているだろう。
 これらのことは今の自分の理想のようなものだから、現実になっているかはわからない。もしも理想と同じになっていたら、それはとても最高なことだろう。でも不安に思っていることもたくさんある。たとえば大学を卒業できているのか。こんな社会だから、就職できているかもわからないのも心配だ。でも、五年後に笑っていられるかどうかということは今何をするかだということだと思う。今楽をしてしまえば先はどうなるかすでに見えてしまう。将来にこのエッセイを読んで、安心して読めるような大人になっていきたいと思う。

●五年後というと私は今19歳だから24歳です。正直言ってあまり想像できないのです。それは何故かと言うと、けっこう先のことのような気がしてならないからです。だから今から五年前の14歳の頃と比較してみることにします。14歳というと私は中学2年生でした。この頃はいろいろあったけど、勉強を頑張っていた頃でした。自分で言うのもおかしいけれど、けっこう真面目さんだったんです。その時から五年経ったんだと考えると、あっという間な気がしてなりません。そう考えるとこれから五年もあっという間に過ぎてしまうのだろうと思うと少し怖いです。ちゃんと単位を取って大学を卒業して就職していれればいいなあと思います。充実した日々を送っていれたら嬉しいです。
 私の夢はマスコミ関係の仕事に就くことです。テレビ局で働けたらすごく幸せだけど、とても難しいと思うのでテレビ局じゃなくても新聞や雑誌などの出版業でもいいです。私は「感動したことなど何かを人に伝える仕事」をしたいのです。なぜこの思いを抱いたのかというと、私は昔野球が好きではなかったのですが、友達に勧められて高校野球を見た時にちょうど松坂大輔投手が出場していた時でした。私の家は横浜高校の近くなので、応援していました。PL学園との延長17回の大接戦を見た時、本当に体中震えるほど感動しました。その試合を生中継で見ていて本当に幸せ者だと思いました。そして奇跡の大逆転勝利をおさめた明徳義塾戦も私はすごく印象に残っています。一試合にかける高校球児の必死さに胸が熱くなりました。そのとき私は「今私がもらった感動を今度は私が伝えていきたい」と思うようになりました。その頃から私の胸の中に「マスコミ関係の仕事に就きたい」という思いがふつふつと育っていきました。今もその思いに変わりはありません。だから24歳の私はどんな形でもいいから何かを人に伝えていてほしいと思います。
 また、私はスポーツだけでなく、戦争の無意味さも訴えていきたいと思います。私は高校2年生の時、沖縄研修で沖縄に行き、その時のレポートの内容を沖縄戦にしていろいろ調べました。その時感じたことは戦争の残忍さ、無意味さでした。なぜかけがえのない尊い命を簡単に失ってしまう戦争というものを人々は今も続けているのだろうとすごく悲しくなりました。だからイラク戦争についても私は反対です。人々は昔から戦争をしてきて戦争の残酷さをわかっているはずなのにどうしてやめる事が出来ないのか私にはわかりません。私は戦争が世界中からなくなることを願っています。私はそのことも伝えていきたいと思っています。仕事についてはそんな感じです。
 あと、私は25歳くらいまでには結婚したいと思っているので、24歳の時の私はもうすぐ結婚!くらいの状況になってくれていることを願っています。独り身だったらどうしよう・・・とにかく恋に仕事に充実した生活を送っていることを期待しています。そのために大学生活を頑張って「私は大学生活でこんなことを学んだ」と胸を張って言えるような人になっていてほしいと思います。

●五年後の私。五年という歳月は長いようでとても短い。五年後私は24歳になっている。五年先のことを考えるといわれても、19歳の私が五年後の自分を考えるのは、同じ五年先であっても、10歳の子供が15歳の自分を想像するのとは少しわけが違う。私が10歳のときに、五年後の自分を想像して文章を書くのならばもっと簡単だったのではないかと思う。きっと10歳の私なら「私は五年後には15歳になって、高校に進学して、一生懸命部活動に取り組んで、・・・。」というような文章を書いていただろう。多分それほど悩まず書けたのではないか。というのは、「小学校を卒業したら中学校に入学して、中学校を卒業したら高校に入学する。」という流れが当たり前のように自分の頭の中にあったからだ。もっといえば、高校入学までは、人生の中でそれほど多くの選択肢は無いように思う。自分で進路を決めなくても、おのずと先に進めると思えたのだと思う。もちろん10歳のときに特別な将来の夢があれば、話は違ったと思う。でも10歳の時に特別の夢を見出せていなかった私にとって、やはり高校進学は「当たり前のこと」だった。
 こんなことを考えつつ、五年後の自分を考えてみようと思う。確実に言えることは、今より五歳年をとっているということだけだ。それ以外は本当に未知の世界。大学を卒業して就職し、バリバリ働いているかもしれないし、結婚して子供をうんでいるかもしれません。就職先が見つからなくて、フリーターになっているかもしれません。もしかしたら大学を卒業できていないかもしれません(これは絶対に避けたいけれど)。就職しているとしても、どういう仕事なのか。本当にいろいろな可能性が考えられる。私の五年後は「〜かもしれない」でいっぱいだ。しかし今の自分は、10歳のときの自分とは違うことだけは確かである。自分で自分の将来を選び、自分の進む方向をコントロールできる。逆に、「自分で選ばなければいけない」とも言える。自分の将来を自分で決めることができるということは、ある意味で「自由を得た」ということになる。素晴らしいことだと思うけれど、その反面、それは、必ず苦悩、困難、不安を伴うものだと思う。ここから順調にいけば、五年後には社会に出ているでしょう。小学校以来、ずっと「学校」という枠組みの中で、守られて生きてきた私が初めて厳しい社会に出ていくことになる。厳しい社会の中で、みんなに伍してやっていけるだけの力を身につけなくてはならない。
 五年後今の私がどのように変化・成長しているのかはわかりません。しかし、五年後の自分を生かすも殺すもこれからの自分次第だと思う。きっと私が24歳になるまでにたくさんの選択肢があって、一人で決断しなくてはいけないこともたくさんあると思うし、後悔することもあると思う。しかし、そういった困難、後悔をひっくるめて五年後の私が成長していられればいいなと思う。

●五年後と言うと、私は24歳。結婚しているのか、自分の好きな仕事をがんばっているのか、それともまだ大学を卒業できていないのか、そう遠くはないのに全く想像がつかない。私の母は24歳の時には結婚していて私の姉を産みもう母になっていたが、今の自分を見て、五年後に母になるには未熟だと思う。結婚もいつかはしたいと思うが、好きな仕事をバリバリがんばっていたいと思う。そして24歳の時、大学をまだ卒業していない・・・という事にだけはなっていてほしくないと思う。
小さい頃の私には夢がたくさんあった。幼稚園の頃はお花やさんやお蕎麦屋さん、アイスクリーム屋さん。この頃は自分の好きなものに近づいていたかったのだと思う。小学生の時はスチュワーデスや看護婦さん。これはきっとテレビドラマの影響を受けてだと思う。中学校に上がると、朝いつもニュースで見るお天気のお姉さんに憧れ、高校に入学し、教師へと変わっていった。そして大学生になった今、夢と言うにはあまりにも現実に近づいていて、自分が何をしたいのか、どのような仕事をしたいのか、よく分からなくなった。
 小学生の頃は中学生に憧れ、中学校に入ると高校に入るために努力し、高校に入ると付属校でそれなりに勉強をがんばってきた。このように学生生活を長く続けてきて、学生でいる事が当たり前のようになっている。それなのに五年後、自分が社会に出ていると思うとこれでいいのかと不安に思う。学生から社会人になるというだけですごい違いがあると思うのだ。
けれど、社会に出るという不安と共に楽しみもある。私はあまりOLにはなりたくないのだが、OLに憧れる気持ちもある。例えば、『仕事帰りの1杯、ハナ金(今はハナ木というらしい)、課長に対する怒り、残業』などがある。仕事帰りの1杯は、朝から夜まで仕事を頑張りいろいろな不満もあるだろうから、それが全て終わった後の1杯のビールはとても美味しいと思う。ハナ金は、同期の人たちと普段の疲れや嫌なことを忘れてパーっと騒いでみたい。課長への怒りは、よくドラマなどにでてくる『おい、お茶!!』だ。本当にOLは嫌な課長などのお茶に、雑巾の絞り汁などを入れるのだろうか?残業はあまりしたいとは思わないが、1回は経験してみたいとも思う。徹夜で仕事をやりとげた後、1人会社で朝日を眺めてみたいからだ。
こう考えると、社会に出るという事に対して楽しさを感じる。でも私は重大な事を忘れていた。それは『肌』の事だ。五年違うだけで随分と肌の調子も違ってくると思うのだ。ただでさえ、最近目のまわりの小皺が気になるのにと、そう考えるだけでとても恐ろしい。きっと五年後の私は十代の頃に戻りたいと思っているに違いない。
 五年後の私が毎日幸せに楽しく過ごしてさえいればいい。けれど絶対に引きこもりと、今以上の過食症にだけはなっていてほしくない。
 今の私には五年後の私がどうなっているか分からないし、今の私が就きたいと思う仕事もまだはっきりと決まっていない。せっかく経済学部に入学したのだから、経済に関る仕事もしたいとは思うが経済に関らない仕事でも、自分の後悔しない道を、大学生活を送る中で見つけたいと思う。
 五年後の私が希望した仕事に就けるよう、今この最後の大学生活を無駄にしないよう充実した日々を過ごしたいと思う。

●今から五年後といえば24歳です。中学生くらいの頃は高校生さえ、すごく大人に見えていました。その頃の私には24歳なんて想像もつきませんでした。今からの五年間は口で言えば一言で終わってしまいますが、見た目も中身も、環境も、すべての面で一番変化がある時期のような気がします。
 このエッセイの課題がだされて、小学校を卒業するときに20歳の自分に手紙を書いて校庭に埋めておこうという企画があったことを思い出しました。成人式の後にみんなで掘り出して読むのですが、もうその日まであと1年です。7年前のことなので何を書いたかはまったく覚えていませんし、小学生が書いたものなので文章も成り立っていないかもしれません。でもその時思っていた20歳の自分になれているのか、近づけているのか少しドキドキします。まだまだ先だと思っていたのに気付けばもうすぐそこまで来ていて、時間が経つのはあっという間だと改めて思いました。
 20歳よりも様々な面で大人になっているはずの24歳の自分に、私が今思うことを書きたいと思います。うまくいっていれば、大学を卒業して、就職して社会に出て働いているはずの年齢です。今の私にはまだ想像できない世界です。私はまだ自分がやりたいこと、本当に好きなもの、打ち込めるものがなく、将来何をしたいかが見つけられていません。あと2年で目標を決めなければならない現実に不安もあります。だから24歳の自分に一番聞きたいことは、自分のやりたいことを見つけて、毎日充実させているかということです。もちろん社会に出たら大変なことがいっぱいあるだろうし、今みたいな甘い考え方では通用しないところもあるはずです。それでも、好きなことをやれていれば、きつくても頑張れると思います。だからこそ、自分に合った道を見つけていて欲しいです。また、精神的にも大人になっていて欲しいと思います。具体的にどういうことかは自分でもよく分かりませんが、いろいろな経験を重ねて、ものごとへの考え方に幅ができていればなと思います。
 今は、決まった考え方しか浮かんでこないし、自分の意見に自信も持てていません。例え人と違った意見でも自信を持って言える人になっていてくれるといいです。最近中学の頃の友達と会う機会が多いのですが、話していても人それぞれ目指すものはまったく違います。やりたいことをもう見つけて、専門学校に行って来年は就職活動だという人、高校に入り直した人、結婚して子供がいる人、同じ年でもいろんな生活をしている友達がいます。どれが正しいとかは一切なく、時期が早いとか遅いということもないと思います。むしろ決断してその通りに実行していることが私はすごいと思います。人それぞれ合った生き方があるはずです。もう自分の道を見つけている人と比べて焦ることもありますが、人と比べて自分はだめだとは思いたくないです。今はまだ何も見つかっていなくても、24歳の頃には人に胸を張って私はこうだと話せる自分でいたいと思います。漠然としか言えませんでしたが、これが24歳の自分へ伝えたいことです。

●五年後の私、こんにちは。五年後、私は24歳。今頃は何をしているのだろう。バリバリ働いているのだろうか。結婚して家庭を持って幸せな生活を送っているのだろうか。自分の将来について考えると、何か不思議な感じがして、想像しがたいものがあります。
 例えば、今から五年前の自分を振り返ってみようと思います。14歳の中学2年生。部活動に励み、1年後に控えた高校受験にむけて志望校を決め、少しずつ勉強していた頃です。当時の私は、五年後の現在の自分が大学で経済を勉強しているなんて想像もしていませんでした。目先のことに精一杯で、将来まではっきりと考えていなかったのです。けれど、月日が流れるのは本当に早いもので、五年間あっという間に過ぎてしまった気がします。それと同じように、今から五年もすぐに過ぎてしまうでしょう。特にこれからの五年間は、19歳から24歳へ…青少年からと成年へ変わる大きな五年であり、また自分の将来もほぼ決まる大切なときだと私は思います。
 現在の私には、五年後に自分がこうなっていればいいなということがいくつかあります。まず1つ目は、自分の本当にやりたいことを見つけてその職に就くことです。私はやりたいことはいっぱいあるのですが、漠然としすぎていて、はっきりとした将来がまだ見えていません。発展途上国の貧しい人々などを救う国際協力の仕事もしたいし、また、マスコミ関係の仕事にも興味があります。これからそういった興味のあることについてよく調べ、本当にやりたいことは何なのか、よく考えて将来を決めたいと思っています。2つ目は、大学での出会いを大切にし、一生涯の仲間をつくることです。五年後、十年後、と昔のことを笑って楽しく話すことのできるような仲間ができたら最高だと思っています。このゼミでそんな仲間と出会いたく、また出会える気がしています。3つ目は、親孝行をすることです。現在の私は、学費や生活費など特に金銭面で両親に負担をかけてしまっているので、将来は自分で稼いだお金で両親を旅行に連れて行ってあげるなどして、少しでも親孝行をしたいです。また、将来のパートナーにも出会えていたらとても嬉しいです。お互いに支え合って幸せな家庭を築き、おじいさん、おばあさんになってもずっと仲良く一緒に散歩できるような、そんな結婚が理想です。これらのことを五年後いくつ実現できているのかわかりませんが、一つでも多く現実にしたいです。
 私は、将来は自分自身で切り拓いていくものだと思います。そして、それによって良くも悪くも、どうでもなると思います。私自身、将来に対して不安も多くありますが、これからの将来をしっかり見据えて、日々なんとなく過ごすのではなく一日一日を大切に過ごしていきたいです。そして中身の詰まった充実した五年間にし、五年後の自分がいろいろな面で成長できているように努力したいと思います。五年後の自分がどうなっているのか・・・少し楽しみです。

●五年後の私を思い浮かべてみた。順調にいってどこかの会社に就職していたら大学と会社の差はあるかもしれないが今と同じで一年生だ。
 どういう人になっているのだろうか。よく分からない。でも、一つだけいえるのは、それまでの色々な体験から成長している自分になっているということだ。五年後の私は、社会の中では一年生ということもあって、きっとまだ世の中に馴染めず、時間や仕事に追われているかもしれない。そんな時、私に心掛けてほしいことがある。それはどんなに忙しいなかでもちょっとしたことを楽しむ余裕を持っていて欲しいということだ。合間を見つけては友達と喋ったり、コーヒーを飲んだり、映画に行くなど。一見簡単なことだが自分の性格からいって仕事にのめり込みそうだからだ。自分だけで精一杯にはなりたくない。楽しみながらを忘れずに…。