忘れられない一言(#2)




●「心に残った一言」ということで、私は一言ではないのですが心に残った詩というものがあります。その詩とは「人生の旅」と言う題でした。「つらいことが多ければそんなにつらくない、悲しいことが多ければそんなに悲しくない、人は支えあって生きているんだ、だから人をもとめて生きる、これぞ人生の旅」という詩です。これは、私が高校の卒業旅行で北海道に行った時に見た石碑に書いてあったのを見て、感銘を受けました。なぜ感銘を受けたのかというと、当時高校を卒業したものの進路がまだ決まっていなかったので、つまり浪人が決定していたからです。浪人が決定していたといっても特別悩んでいたり落ち込んでいたということではなかったのですが、親に対して世間体や金銭面などで申し訳なく思っていて、友達はみんな進学が決まっていたので自分一人が取り残されたような気がしていたのは事実でした。浪人ぐらいで大袈裟だとお思いかもしれませんが、十八歳の私にとっては切実な問題でした。そんな時、そんな気分で行った北海道の地でこの詩がとても印象的でした。「つらいことが多ければそんなにつらくなく、悲しいことが多ければそんなに悲しくない」つまり、小さなことでくよくよせず、心の広い、大きな人間として物事を見れば楽になるということで浪人くらい気にせず、翌年大学に合格すればいいことだと考えるようになりました。きっと雑誌など文面の上でこの詩を読んだならなにも感じなかっただろうけど、実際に自分の目でこの石碑を見るということに意味があり、三年ほどたった今でもとても心に残っているのだと思います。実際卒業後予備校に行ってみると周りの人も皆自分と同じ浪人生であり、自分と同じような悩みを持っている人達ばかりだったので、以前に抱いていた気持ちのままで通うことはありませんでした。しかし、浪人という引け目を感じなく予備校に通えたと言っても、そんな単純に予備校生活は終わりませんでした。どちらかというとプレッシャーに弱いタイプの私は、夏がすぎてだんだん入試が近づいてくるにつれて、成績の伸び悩み、また落ちたらどうしようという不安で気が滅入っていました。そんな時、予備校の講師が言った言葉がとても心に残っています。「人間の価値は、自分が自分のためにどれだけ苦労できるかで決まる」という言葉です。これが私のもうひとつの心に残った一言です。それまで私は、親が自分の進路を心配しているとか、友達が先に大学へ行ってしまったとか、そんな周りのことばかり気にしていました。しかし、勉強するのも、大学へ行くのもすべて自分自身のために努力しようと考えるようになりました。それから、受験に対してとてもポジティブに取り組むようになり、前向きな気持ちで過ごすことができました。その後、受験勉強の追い込みをかけたその結果残念ながら第一志望とはいきませんでしたが、法政大学に受かることができました。振り返ってみると、人生の岐路に立たされた一年といっては大袈裟になりますが、まだまだ短い人生の中で最も内容の濃い一年だったと思います。今、浪人生活のような内容の濃い生活が送れているかどうか考えると自信がありません。今ではその一年がとてもなつかしく、充実していたように思います。「心に残った一言」というエッセイを書くにあたって、この浪人生活心に残った一言「つらいことが多ければそんなにつらくない、悲しいことが多ければそんなに悲しくない、人は支えあって生きている」「人間の価値は、自分が自分のためにどれだけ苦労できるかで決まる」をもう一度思い出すいい機会として受けいれ、今後の人生をいい意味で「自分のために苦労」して生活していきたいと思います。これから長い人生の中でつらいこと、悲しいことがたくさんあると思いますがこの言葉がまた役にたつと期待して取り組んでいきたいと思いました。□

●私の忘れられない一言。それは、「努力は必ず報われる」である。はっきりいって、どこででも耳にするようなあたりまえの言葉であるが、私はこの言葉を忘れられない。私はこの言葉をいつも何か辛いとき、苦しいとき、学校の課題、テスト勉強、部活での練習などで行き詰まったときに必ず思い出すのである。その言葉を忘れられない言葉としたいきさつをこれから語ろうと思う。
 この言葉を初めて他人の口から耳にしたのは、私が中学三年生の頃である。ちょうどそのころは高校受験のための勉強の真っ只中であった。私は近所の学習塾に通っていた。その学習塾は、大手の学習塾とは違い、塾長(先生)個人で経営している学習塾なのである。そのため、先生の指導・アドバイスなど、非常に充実したものであった。一人一人をすごく大切にしてくれる先生だったため、みんなよい進路を選び進学することができた。この言葉は、先生が授業中や個人面談などのときによく口にする言葉なのである。
 私は当時行きたい高校があったのだが(その高校は後に私の母校となる高校)、自分の成績をもっと伸ばさなければ難しい高校であった。私は中学三年になってまもなく、その高校を第一志望に選んだのだが、やはり今のままでは難しいといわれてしまった。私が中三になって、塾の先生は指導にも熱が入り、私もよく面倒を見てくださった。このころだろうか、先生の口からその言葉を発することが多くなったのだ。成績の伸び悩んでいた私は、自分も先生の言っていることに騙されたと思って受験本番まで頑張ってみようかなといつしか思うようになっていたのだ。それこそ、普段の勉強はあたりまえであり、夏休み、冬休みなども必ず毎日勉強するようになったのだ。普段あまり勉強などしない私が毎日勉強するようになり、周りも驚いていた。私も自分がこれまで生きてきた人生の中で一番勉強したと思うくらい勉強した。夏を越してから成績は伸び、最終的にはその高校のレベルの成績まで達することができた。
 その高校の試験日当日、第一志望であるプレッシャーかその日の緊張の度合いはいつにもなく増していた。しかし、私は、「俺は今まで死に物狂いで頑張ってきたんだ。先生に言われたとおり、努力したんだ。努力は必ず報われるさ。」と心の中でつぶやきながら試験に臨んだ。不思議と出てくる問題が解けてしまったのである。試験終了後、私は達成感でいっぱいだった。そして、合格発表の日、合格を知った私は声を出すくらい喜んだ。その後、先生のいる塾へ向かい、先生に第一に結果報告をした。そして、先生に心からお礼を申し上げた。ありふれたありきたりな言葉でも不思議なことに自分の心に刻み込まれるものなんだなとその時改めて知った。これからの生活でこの言葉を忘れないように何事も頑張ろうと思えるようになった。
 高校に行ってからも部活、勉強など、行き詰まることは中学の頃より多くなったが、その言葉を思い出し、三年間文武両道に努めることができたと思う。話は変わるが、現在私は大学で空手部に所属しているが、まだこれといってよい成績を残していない。もうすぐ四年生であり残されたチャンスも少ない。今年の目標は五月に行われる個人戦の大会の選手に選ばれることであり、その大会で少しでもよい成績を出すことである。そのためには、最後まで努力を怠らないことが必要だと思う。目標に向け、中三のときの気持ちを思い出してまた努力しようと思う。
 「努力は必ず報われる」とは、ある一時点の目標を達成するための言葉だと中学の頃までは思っていたのだが、時には努力が報われないときもある。実際私も報われた努力というのは、高校受験のときとその他は数えるくらいしかない。だからといってその言葉は嘘ではない。その一時点で今まで積み重なれてきた努力が報われなくても、将来絶対何らかの形で報われる。最近はそう思えるようにもなってきた。さっき述べた今年の目標も達成できるかどうかもわからない。でも、それまでに積み重ねてきた努力は胸をはれるものに違いない。そのために費やした時間は無駄ではないはずだ。絶対これからの人生の行く先で、自分の会う人たちに自分がしてきた努力を堂々と話せると思う。たぶん、先生もあの時は言わなかったが、「努力はある一時点で報われなくても、将来絶対何かしらの形で報われるから報われなくても諦めずにがんばれ」って言いたかったのかもしれない。だから、報われない努力も時には必要であり、それをこれからの生活の糧にするべきなのである。また、それまでに重ねた努力はこれからの人生に絶対必要であると信じている。
 最後にこの言葉を教えてくれた先生に今このエッセイを書きながら改めて心から感謝をしています。□

●私の「忘れられない一言」は、実際に私自身がだれかに言われた言葉ではありません。何ヶ月か前に、知り合いに強くすすめられて読んだ『だから、あなたも生きぬいて』という本の中に出てくる言葉です。この本は、テレビなどでもとりあげられ、とても話題になっていたので内容は前から少しだけ知っていました。この本の著者の大平光代さんは、中学二年のときにいじめを苦にして割腹自殺を図り、十六才のときに「極道の妻」となってしまいます。でも現在の養父・大平浩三郎さんと出会って立ち直り、二十九才で最難関の「司法試験」に一発で合格した、という非常に変わった経歴を持っています。この本には中学のときにいじめられた様子や、司法試験に向けて必死で勉強しているときのこと、そしてそのときに光代さんが抱いた感情が、そのまま書かれています。読む前はそれほど興味がなく、「そういう人もいるのか。」という程度だったのですが、実際に読んでみていろいろなことを考えさせられました。いじめの問題や、周りの人たちの冷たさ、中卒という学歴で司法試験に合格することの難しさ、それを乗り越えて立ち直るということ。そしてこの本の中で印象に残ったのは、光代さんが立ち直るきっかけとなった大平浩三郎さんの言葉です。大平さんに出会うまでに光代さんは、信じていた人に何回も裏切られました。そのせいもあって大平さんが光代さんを立ち直らせようと必死に説得しますが、その言葉をどうしても信じられず何度も挫折しそうになってしまいます。でもそんな光代さんを根気強く励ます大平さんの言葉には、すべて感銘を受けました。その中でも特に心に残ったのは、光代さんが再出発を決意し、宅建の資格を取ろうとしているときのこと。一人暮しを始めて仕事を探しますが、中卒ではすぐに断られて面接さえ受けさせてもらえないので、まずなにか資格をとろうと考えて最初に取り組んだのが宅建だったのです。でも中学以降の学力がないので基本書を読もうとしても漢字が読めず、読めたとしても意味がわからない。なかなかはかどらないもどかしさで何度も投げ出そうとしながらもそのたびに大平さんに電話して八つ当たりしては、なだめられたり怒られたりして反省し、また勉強するということを繰り返します。そうして何とか基本書を読み終えますが、独学では理解できないところも多く、予備校に通うことにしてようやく本に書かれてあることが理解できるようになります。でもそのうち勉強の壁にぶつかり、何回も同じ問題の同じ箇所で間違ってしまい、勉強をやめたくなり、大平さんの会社を訪ねて、「もういややもうやめる」といって教科書を床に投げつけます。そのときに大平さんが言った言葉。「その教科書が、あんたに何か悪い事をしたか。知識を与えることこそすれ、害を与えることは絶対にせえへんのと違うか。いつまで、悪い時の根性を持ってるんや」。
 私は去年の十一月まで、簿記二級の試験のために勉強をしていました。難易度は宅建や司法試験ほどではありませんが、それでも不安になったり、やめたくなったりすることがありました。だれかに期待されているわけでなくても、自分で自分を追い込んでしまうのです。自分でも精神的に弱いなと思いますが、そういうときは物にあたったりすることもありました。落ち着かなければ、と思っても、いらいらしているときはどうしても自分の感情をコントロールできず、そんな自分が嫌でまたいらいらする、という悪循環でした。私はこれを読んだときに、「面白いことを言うな。」と思ったのと同時に、「自分を落ち着かせるいい方法が見つかった。」と思いました。この言葉は私にとって、自分を落ち着かせなければいけないあらゆる場面で役に立ってくれる大発見です。
本だけでなく、映画、音楽、ミュージカルなども、そこから何かを見つけることがたくさんあります。また、人間性を高め、文化的・精神的に豊かになれると思います。これからも積極的に、そして楽しみながら文化的なものに触れ、自分を高めていきたいと考えています。□

●原田宗典という作家をご存知だろうか。いろいろな雑誌にエッセイが載っていたり、沢山の本を上梓しているから読んでみたことがある人も多いのではないだろうか。私の好きな作家の一人である。
 私が最初に読んだ原田宗典の作品は友人に薦められた、『十七歳だった!』という原田氏の高校時代の生活が書かれたエッセイ集だった。この本を読んだとき、私は高校生であった。この時期にこの作品に出会えたことは、私にとって実に幸せなことであった。ちょうど同じ時期の内容だったので、この作品をとてもよく理解できたと思う。以来私は原田氏の作品を多く読むようになり、いろいろな影響を受けてきた。例えば、本を読み終わったときに日付とサインを記すということをもう五年も続けている。そしてこの作品を読んでからそれまでは年数冊しか本を読まなかったのが、今では数十冊読むようになった。これも原田氏のおかげである。
 原田氏のエッセイの特徴は、読者を笑わせようと面白おかしく、そして作り話ではないのかというような内容が実にリアリティに描かれている。そのありそうだが実際にはないだろうというようなスパイスが、絶妙な匙加減で盛り込まれているところが私は好きである。もし電車の中とかで本を読みながら笑いをこらえている人がいたら、それは原田氏のエッセイを読んでいるのかもしれない。そういう状況を何回も私は遭遇している。笑っちゃいけないと思っていてもそれが我慢できない。読むのであればぜひ自分の部屋で。
 閑話休題。
 その日も原田氏のエッセイを買って、今回はどんなおもしろいことが書いてあるのかと期待して読み始めた。だがそのエッセイ集はいつもと少し違った雰囲気だった。それは読者に対してちょっと辛口で、そして誠実な態度で意見をするという主旨のものであった。  その中のひとつに『お金にならない仕事』というエッセイがあった。そこにはコピーライターの師匠の言葉で『金にならない仕事ほど懸命にやれ』というのがあった。これに対して原田氏が考えたことをまとめると『お金になる仕事というのは、いくらやってもお金を生むだけである。逆にお金にならない仕事というのは、目的がお金以外のところにある。お金以外の自分にとって大切な“何か”がそこにあるから、人はその仕事に着手する。』というものであった。
 これを最初に読んだとき、なんとなくわかるが具体的にこういうことだと表現できない気持ち悪さを感じた。例えていうならば喉元まで出てきているのになかなか言葉が出てこないというような感じである。そもそも仕事とはお金をもらうためにするものであろう。お金をもらえないのであれば、ほとんどの人は仕事をしないのではないだろうか。
 私はアルバイトの経験があるからお金をもらうための仕事をしたことがある。お金以外にも友達を得ることもできた。ただしそれはお金にならない仕事をしたから得たものとは言えないだろう。お金にならない仕事というのは何なのだろうか。仕事をしてもそれがお金につながらないのであれば、人は何を求めてその仕事をするのであろうか。やはり原田氏が言うようにそこに〈何か〉があるからなのだろうか。とりあえずお金にならない仕事という意味が分からなければ、自分にとって大切な〈何か〉を見つけることはできないだろう。そしてそれは見つけにくいものなのではないだろうか。少し考えすぎだと思われるかもしれないが、私にはそんな気がする。
私はこの『金にならない仕事ほど懸命にやれ』という言葉を頭の隅に残しながら生きていきたい。これから何十年と生きていく中で今までに経験しなかったことを経験することにもなるだろう。その経験の積み重ねによってこの言葉に隠されている含みに気付くのではないだろうか。そして自分にとって大切な〈何か〉を見つけ出したいと思う。それは私の成長を意味するものとなるのではないだろうか。はたしていくつになったらわかるのか、ちょっと楽しみでもある。□

●一日に笑っている時間はどれくらいあるだろうか。声をあげて笑っているのもそうだが、目上の人や、見ず知らずの人に笑顔でニコっと微笑んで接しているだろうか。私がそんなことを意識し始めたのはこの時からだった。
 高校を卒業した春休みからほんの一ヶ月間、隣りの駅にあるデパートの地下の青果コーナーでアルバイトを始めた。時給の良さに惹かれて、仕事内容などあまり把握しないまま応募し、女性のアルバイトが少ないということで採用された。そのデパートとは、若者よりはオバサンをターゲットにしたデパートで、漠然と地下の食料品店街にあるそこも普通の八百屋とは違って、気品があり、整然としているとばかり思っていた。  が、しかし、初出勤日、売り場に行ってみるとそのありがちな固定観念は一人の男性社員の店内に響き渡る声とともに見事に打ち消された。 「さぁこちらは群馬産のセクシーレタス!!」
 何だか雲行きが怪しくなってきた。売り場に放り出された私は、しばらく彼の売りさばきに呆然と見入ってしまったが、ずっとこの調子でレタスを売っている。
 気が付くと、他のコーナーでも、やれお買い得だの、やれいかがですかだのと声を出しながら品出しをしている。  そして仕事はというと、自分で売り場の状況を見て、減っている商品をバックヤードや倉庫から運んできて売り出さねばならない。それまで私は様々な接客のアルバイトをしてきたので、客への対応でなんとかカバーできたものの、決められた仕事を坦坦とこなして行く方が好きな私には少々キツイものがあった。
 これだけでも軽く参っていたのに、さらに悪い事に、店長は全国店舗で唯一の女性だった。どうも女性は苦手である。と言うのも今までの学生生活、女性教師に好かれにくかった。何故だか同性の教師には距離を置いてしまい、媚びることができない。中学三年間は男性担任、高校三年間は女性担任であったわけだが私の学校内での活躍ぶり(生徒会・委員会活動など)を見てみれば一目瞭然だ。  担任も店長も同じようなものだ。と無理やり理由づけて、自分からはあまり関わらないようにしていた。
 だが、店長も店長だ。アルバイトも板についてきた頃、そっちが寄ってこなければこっちから、とでも思ったのか、品出し中の私に声をかけてきた。仕事は慣れたか、と確かそんな言葉だったので、大変だとも言えず、はい、やっと慣れてきましたと笑顔で答えた。心の中では早くどっか行ってくれ、とでも思っていただろう。すると、意外な言葉が返ってきた。
「あたしはあなたのその笑顔に惚れたのよ。面接の時からね、そう思ってたのよ。」
 その瞬間、思わず涙ぐんでしまった。そして照れ笑いしながら「ありがとうございます。」と目も合わせずに言った。感動してしまった。ただ涙腺がゆるいからかもしれないが、自分では気にもとめていなかったことを引き出してくれ、ほめてくれたことに心が動かずにはいられなかったのだ。
 これは長所だか短所だかわからないけれども、普段からほめられるようなことをしていないせいか、自分にはほめられるとすぐに舞い上がってしまうところがある。
(そうか、笑顔か!!)
 いい笑顔はそう簡単には出ないと思う。かと言って、無理に作り笑いをするのもわざとらしいし、続かない。それが自然とできているということを、店長は教えてくれたのである。
 それから一ヶ月後、体調を崩してそのアルバイトはやめてしまったが、今でも様々な場面でよくあの一言を思い出す。現在はス\パ\でレジのアルバイトをしているが、どんなに疲れていても、機嫌が悪くても、「笑顔」というあの店長の言葉をいつも念頭に置いている。そうすると相手も気分がいいだろうし、自分でもブスっとしているよりやる気が出てくる気がする。店長からもらったあの一言は大きく、これからの私に何らかのプラスになる影響を与え、勇気付けてくれる忘れられないものになるであろう。□

●それは、私が小学五年生の時のこと―
ホ\ムル\ムの時間。生徒会役員の立候補者選出が行われていました。会長・副会長・書記の計三名をクラスから選出しなければならなかったのですが、最後の一人がなかなか決まりませんでした。「そのうち誰かが名乗り出てくれるだろう」と、気楽に考えていた時、突然、聞きなれた名前が耳に飛びこんできました。私の名前です。いたずら好きのO君がおもしろがって言ったのが、あっという間に立候補者に決まってしまいました。
それは私にとって一大事でした。なぜなら私は極度のあがり性で、人の目が気になり、人前に出るのが苦手だったのです。そんな私が、選挙運動のために襷をかけて全学年の教室をまわったり、校内のテレビ放送に出演したり、さらには全校生徒の前で立会演説をするなんて、考えただけで肩の荷が重くなりました。
「私には無理。やめたい、やめたい」その一心で、その日の放課後、私は我慢できず担任のS先生のところへ行き、その悩みを打ち明けました。先生は笑いながら言いました。「岡田はまじめだなぁ。」「人が真剣に悩んでいるのに」と、私は少しムッとしました。先生も、そんな私の気持ちを察し、ごめん、ごめんと言い、少し間をおいてこう話しました。「あのね、岡田の話なんて誰も聞いてやしないんだって。」「えっ?話を誰も聞かない?それってどういうことなんだろう。」先生は続けました。「みんな、朝礼で、先生の話、ちゃんと聞いてるか?聞いてないだろう。悲しいことに人間は、自分の言うことは聞いてほしいくせに、人の言うことは聞き流す傾向がある。だから、岡田が悩むほど、人は、岡田の言うことなんか聞いてやしないんだ。」心の中で何かが吹っ切れた気がしました。確かに、正直言って私も、朝礼で校長先生がずっと話し続けている時、早く終わらないものかと、うわの空だったことが多かったのです。
さらに話によると、先生も以前は人目が気になって、人前では全然話せなかったのだと言います。それが、友人の結婚式に出席して、招待された人達がスピ\チする人の話を聞いていないのを目の当たりにして、自分の話を一生懸命聞いているのは、自分だけだということに気がついたのだそうです。それからは、何人の前ででも平気で話せるようになったらしいのです。
以来、何日間か私は、いろいろな授業や人の集まりで、話を聞く側の人ばかり見ていました。そして、先生の言うことは、その通りだと確信しました。悪いけど、みんな、話している人の話を真剣には聞いていません。
私も、なんだか肩の力が抜けて、選挙運動も、無事、終了しました。結果は落選でしたが、そのことへの悔しさよりも、昔の私では不可能だったことをやり遂げたことへの嬉しさ・満足感で胸がいっぱいでした。
その後、先生の言葉の意味を頭の中で考えてみました。決して先生は、いい加減にやっていいと言っているのではありません。最高の力を出すために、肩に余分に入った力を抜く方法をユ−モアたっぷりに教えてくださったのです。
これをきっかけに、コツを覚えた私は、人前でやるいろいろなことにチャレンジするようになりました。学芸会での主役、体育大会の選手宣誓、英語教室でのスピ\チコンテストそのたびに私は、「この人達、どうせ私の話なんて聞いてないんだよね」と、自分に言い聞かせ、その場に臨みました。リラックスした私は、百二十%の力を出しきれるようになったのです。
もし、あの日、先生にあのアドバイスを頂いていなかったら、私は、消極的な性格の持ち主になっていたでしょう。人目を避けることで自分の行動範囲を狭め、知識・経験の乏しい人間になっていたかもしれません。そう考えると、あの一言をかけてくださった先生、さらに、いたずら心とはいえ、絶好の転機を与えてくれたO君にも(?)感謝の気持ちでいっぱいになります。
 本当にありがとうございます!□

●《忘れられない一言》とは、そもそも心に残る言葉もしくは、その言葉が直接的であれ間接的であれその人に対して影響する言葉です。ここで言う「影響」は、感情的に作用するものもあるが理性的に考えて納得するものもあります。後者の場合は、その言葉を聞いてすぐにではなく時間を経た後に、ある時、ふっとした瞬間思い出すもので過去の自分と現在の自分を投影する時にしみじみと感じ「影響」する言葉だと思います。そんな色々ある《忘れられない一言》を自分自身のこれまでの人生を振り返って述べてみたいと思います。
まず、最初にこれまで生きてきて心に残る《忘れられない言葉》は、中学校卒業時の成績簿に担任の先生が書いてくれた言葉で「君には、数字では、ちょっと評価できないものがある。自分の人間性を信じてこれからも頑張って下さい」です。中学三年生の、その時のクラスは、四月時には、みんなバラバラで、クラスの纏まりがありませんでした。そのまま中学校を卒業するのが嫌だった僕は、あるクラス会の時一つの提案をしました。「小学校の頃のように、昼休みにクラスのみんなでサッカ\などをしよう」と提案しました。最初は、みんな冷めた感じだったが毎日やるうちにクラスの全員が参加するようになり、驚いた事に、隣のクラスも同じようにするようになりました。それは、秋の文化祭の前の出来事だったので文化祭時には、クラスが纏まり楽しいクラスになりました。そんな色々あったクラスの最後に先生に言われた言葉だけに、自分が何かをしようとして迷ったり、戸惑った時に決断する。一つの自信を与えてくれる《忘れられない言葉》となったと思います。この言葉は、まさしく時間を経た後に「影響」することとなった《忘れられない一言》だと言えます。
 二つ目のこれまで生きてきて心に残る《忘れられない言葉》は、「才能とは、自分を信じる力である」これは、ゴーリキの言葉で、高校を卒業して働いていた時出会った言葉でした。当時は、居酒屋でアルバイトをしていて、その店の社長から店長にならないかとおっしゃっていただき、正直生活して行くには、充分な給料を提示してくれていました。しかし、心の片隅に‘一度は大学の空気を吸ってみたいという気持ちがありました。そんな時、ゴーリキの「どん底」などを読み耽り今後の人生を真剣に考えました。そして、一度しかない人生を自分の可能性を追及する道へ進むことにし、居酒屋を辞め一年間大学受験するために浪人しました。〈才能=自分を信じる力〉という考え方は、自分が諦めかけていた気持ちを奮い立たせてくれる考え方となりました。人間とは、自分の意志で動き考え行動することができます。言葉が人に絶大なる影響を与えることを痛感したのもこの頃のことでした。
 浪人している時には、こんな〈忘れられない言葉〉にも出会いました。「言葉とは、人を奮い立たせることも、また、傷つけたりすることも可能とする。言葉を誠実に学びなさい。」この言葉は、自分に読書する姿勢を根本的に見直す助言となりました。言葉の息吹を感じ取ることができ、また、文章をマクロから、そして時には、ミクロからみられる、そんな視点移動ができる読書・勉学・研究をこれからして行きたいと切実に感じさせる言葉となりました。また、日常においても物事をみる上で大切なことは、視点移動であり、一つの見方に固執しない柔軟な考え方・発想が大切なのであるということを、その時感じました。人間が生きていく上で言語・言葉とは、とても大切なものであると考えます。これから生活していくうえで上記の言葉を心に留めて誠実に学んでいくことの大切さを改めて感じました。
最後に、佐藤先生がおっしゃった「大学生活は、ゼミ中心であるべき」という言葉にとても共感を覚えました。法政大学経済学部で自分は、コレを学んだのだ!と言えるものを一つ掴みたいと思います。それは、自分自身の生きるスタンスかもしれないし、人生を生き抜く一つの視点を養う事なのかもしれません。僕も、ゼミ中心で頑張って行きたいと考えます。□

●私も生まれてから今日、現時点でもたくさんの言葉を目にし、耳にしています。さまざまな言葉に出会いさまざまな感情を抱いてきました。テリー伊藤さん曰く「人とは河に流されている石みたいなもので流れの中で最初はとがっていたものがだんだん丸くなっていく。」だそうです。流れとは時間の流れでもあり、言葉の流れであり、環境の流れでもあると思います。私は中学生の頃から毎年一度は読んでいるサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読み終えた時にこのことを痛感することがあります。読むたびに内容が違うことです。書いてあることは同じでも感じ方が違うのです。
 言葉でも同じです。私は高校時代に部活動に所属していました。私はけがをし、長期にわたるリハビリを契機に部活動を辞めることを決めました。理由はいろいろありました。一番の理由はその部が盛んではなかったことです。自分は中学、高校と代表に選ばれ、調子に乗っていたことを顧問の先生は分かっていたのだと思います。私が退部の申し出をした時に大反対され、最後に一言を言われました。「人生で人から必要とされることなんて何度もないんだぞ」と。
その時はその顧問の先生と生徒指導室で大喧嘩をしました。しかし、それから自分は変わったと思います。最初は自分を必要とする人なんて星の数ほどいると思っていてそれを証明するために一生懸命でした。しかし、そんなに甘いものではないことに気づくのにそんなに時間がかかりませんでした。証明するどころか顧問の先生の言葉を証明されました。
 現時点の私にとってこの言葉はある意味、人生のベクトルだと思います。でも、それは自分の意志で長さの変えることのできるベクトルです。その過程にはさまざまなことを積むことが必要だと思います。そのための努力はなんなのか未だに分かりません。唯一、分かることは自分を他人に認められることだけでも大変な時間と体力が必要だということです。
 この顧問の先生の言葉という石を私は時間軸における河の流れでは未だに大きなとんがっている石であることは間違いありません。また、私が最初、この言葉を理解しようとせず、反発したころよりも河に流されて丸くなったのかということも実感させられました。
 この石が丸くなる頃には私も一人前に人に説教でもしているのかなと思います。□

●「最初は人まねでもいい。そのうち自分のものになるのだから。」
今からちょうど約三年前に読んだ本の一節です。その時は何となく読んでいた本なので題名すら覚えていません。しかし気付かないうちに、その言葉だけが私の心に残っていました。
 多くの人がそうであるように、私にも日々の生活を送る中での私なりのモットーというか、こだわり(?)があります。それは自分なりの意見を持つ、という単純なものです。一見簡単そうなことかもしれません。また、気になど留めなくとも、難なくこなしている人もいるとは思いますが、私には正直なかなか難しいことです。
 当初、そのモットーに近づくために「どうしたら自分なりの考えを持てるのだろう」と私なりにいろいろ考えたりしました。ですがハッキリとした答えなど出るはずもなく、自分の考えをきちんと持っている人を見ては、「羨ましいな」と思ったりして、ただ何となく時間だけが過ぎていきました。そして、もうどうでもいいかな、と思っていた時に出会ったのが、あの言葉でした。
その時は妙に肩の力が抜けた、というか「何だ、単純じゃないか。」と思った記憶があります。いろいろな人、いろいろな場面から自分では考えられそうにない考えを吸収してから、自分なりの考えを持てばいいのか、とかなりうれしくなりました。それからは、「できるだけ多くの、いろいろなタイプの人と話をしよう。今までやらなかったこともやってみよう。」と、考えるようになりました。それからできる限り、学内学外問わずにそれらを実践するように心がけてきたつもりでいます。(いつも、いつもというわけにはいきませんが・・・)
あの言葉に出会うまで、私は人と違う考えや意見を持つことが良い、と思っていました。けれども、人と違うということが必ずしも良いというわけではないことを知りました。それよりも、いろいろな考えを知った上で、自分の考えを持つこと(人と同じ、違う関係なしに)がいかに大切で難しいのかを感じました。
しかしながら単純に、トントン拍子でうまくいくはずもなく、未だにあの言葉を思い返すことが多々あります。これからも、おそらくそうだと思います。けれども、これからもあの言葉を心に留めていこうと思います。□

●忘れられない一言について書くということで、いろいろ考えたが、なかなか文章にすることが難しかったり、ちょっと書きにくいことが多いように思える。そもそも、本当に「忘れられない一言」というのは、他の人にわざわざ言うものではないと思う。実際、何人かの友達に聞いても同じことを言う人がいた。しかし、書かないわけにもいかないので、悩んだあげく、「忘れられない一言」というより、「よく言われる一言」のほうに当てはまるかもしれないことについて書こうと思う。
それは、「今日できることは今日のうちにやり、明日にまでのばさない。」という一言である。これは、実に様々なところで言われることであり、自分でもよく思うことである。現に、このゼミの課題も早くやればいいものを、のばしのばししているうちに、締め切りに間に合わないというどうしようもない事態になってしまっている。
 それはさておき、この一言を言われることによって、ものすごく助けられたというか、成長できたということがある。それは、さかのぼること四,五年前の高校の部活での時である。私は高校の部活で陸上をやっていて、その時の恩師にこの一言を言われたのである。それまでは、課されたメニューを言われた通りにやり、面倒くさいものはやらなかったり、明日やるというようなことしていた。これでは、当然強くなるわけもなく、なかなか成績も残せなかった。そんな時に、「今日できることは今日やり、明日にまでのばさない。明日は明日で他のことをやるのだから、のばしたらやらなければならないことができない。」と言われ、というよりも怒られ、それからは今日やらなければいけないことは今日のうちにやるという習慣ができ、様々な練習もこなせるようになって、成績ものびていった。この一言のおかげといっても過言ではないほどに、高校の陸上ではいい記録も出せたし、自分の可能性を広げることができた。
 今後はますます、この一言を肝に銘じておかなければならない機会が増えるのではないかと思う。これから始まる就職活動は大変なものであるから、できることなら先のばしにしたいというのが本音である。しかし、そんなことは当然できない。それならば、やはりできることはすぐ(今日)やることが必要になってくる。
これからは、「今日できることは今日のうちにやり、明日にまでのばさない。」という一言が、「忘れられない、よく言われる一言」から、「忘れてはならない一言」になりそうである。□