経済小説を読む: Part_II


●#11:『汚 名』

読後感想文、といわれて正直少し困ってしまった。というのも、知らないことだらけだったので、なるほどな、と思っているうちに読み終わってしまった感じだったからである。内容も難しい部分が多く、それについて感想を述べるというのは、難しいものがあった。とにかく、勉強になったなというのが、正直な感想です。私は初めて企業小説というものを読んだ。今まで絶対に自分から企業小説というものを読んでみようと思ったことはなかった。だから、この本を読んで、企業同士の駆け引きとか人間同士の駆け引きとか、専門用語とか、初めて知ったことがたくさんあった。その分勉強になったと思う。この本の中には私が知らない世界が広がっていた。読んでも良くわからないところもいくつかあった。企業の中での様々などろどろとした人間模様を見た気がする。
まず、この本を読んで思ったのは、会社はいろんな人の様々な目論見とか、陰謀とか、そういうものが絡まりあって形成されているのだということだ。それは、過酷な出世競争であったり、受注合戦であったり、男女関係であったりする。けれど、この本を読んで、本当にこんなことってあるのだろうかとも思った。何か、この小説の中には、こんな人っているのかと思うような人間がたくさん出てきたように思う。主人公の種村をはじめ、課長の石野も設計事務所の広野も、自分の利益や地位のことしか考えていないように感じた。
そして、この小説の中で、主人公をはじめとして、会社での地位や立場に大きな関連をもっていたのが、「恋愛」というものだと思った。結局は不倫によって主人公は汚名を背負うかもしれない境地に追い込まれる。女って怖いと改めて感じた衝撃のラストだった。
企業という、今の私とはあまり関わりがなく、無知だった部分を少し知ることができたように思う。現実にも、私が知らない世界がたくさんあるだろう。もしかしたらこの小説よりも現実は厳しいのかもしれないとおもうと、恐ろしい。不況といわれる今、誰もが安定した地位や収入を得たいと望んでいると思う。リストラへの恐怖を抱いている人も多い。だから企業の中の出世競争とか、よりいっそう激しいものなのかもしれない。やはりそういう状況におかれると、人は自分のことしか考えられなくなってしまうのだろうか。私はそうはなりたくないとあらためて思った。また、こういう企業に関する知識も増やしていく必要があるとこの本を読んで思った。

●#12:『地を這う虫』

私は「地を這う虫」という本を読みました。なぜこの本を選んだかというと、いつかは忘れてしまいましたがどこかでこの本の題名をよく聞いたことがあるので選びました。当時は耳に入ってくるだけで読もうとも思わなかったこの本を、今すべて読んでしまったということは、とても不思議という感情にあります。おそらく先生がこの本を読んでいなければ、自分もこの本を読む機会はなかったと思います。
この本を読み始める前まではてっきり経済関係の本だと思っていました。しかし実際は違い、それぞれが短編小説のような4つの章に分かれる、男3人の物語のようでした。それも架空のものには感じず、実際にあったことを書き綴ったようで、ノンフィクションだと思いました。金融業者に勤めている男、議員の運転手をしている男、そして昼間は倉庫会社で働き、夜は薬品会社の警備員をしている男の話でした。これらの男たちに共通していることは、「元刑事」だということでした。自分のミスではないもののそれぞれが責任をとって刑事を辞め、次の就職先でさまざまな思いを持ちながら暮らしているのでした。
私が特に興味を持って読むことができた章は、最後の「地を這う虫」というこの本の題名と一緒の章です。昼間は倉庫会社、夜は薬品会社の警備員をしている男が、倉庫会社から薬品会社へ向かう途中での道のりでおきる空き巣事件を、この男が推理をしながら追っていくという男の話です。この男は手帳を持っていて、この手帳に事件を解決するのに必要そうなことや、地域の地図などを貼り付けて真相に迫っていくのでした。その推理というのがとても細かく、そしてわかりやすいので自分も一緒に推理をしているような気分になりました。推理小説というものを読んだことはありませんが、実際、このような感じなのだろうなと思わされました。
この本は4つの物語を書いているだけで、筆者は特に何も伝えようとはしていないのではないかとはじめ思いました。しかし、読んでいくにつれてはっきりとはわからないけれど筆者が何を言いたいのかということが読み取れてきているようでした。「口では言い表せない何か」ということです。あえて言うなら、現在の社会の暮らしの中に起こりうることを問いかけているような感じで、物語の現状が呼んでいる者に対して、はっきりと正確にわかるように書いているというようなことになります。1回読んだだけではわかりづらいのかなと思いました。それとも自分に読み取る能力がまだないのかなと思いました。
この本を読み終わるまでには、ページ数が少ないということもあると思いますが、短時間で読み終わることができました。そして、読み終えたときには不思議と穏やかな気持ちになることができ、なぜか少し自分が成長できたような気分でした。
途中で私の住んでいる街の近くの駅などが出てきて、面白かったです。

●#13:『小説都市銀行』

本書は、ある大手都市銀行の経営状態・内情といった、実際に現実として存在しそうな物語であった。私が今まで読んできた小説とは一風変わった感じでおもしろかった。物語の展開は、経営者や、その下で働く営業マンのそれぞれの物語を短編的にオムニバス形式で描かれており、まるでオムニバスドラマを観ているようでもあった。だが、それらはある一点でリンクしており、現実に存在する都市銀行の実情みたいなのを知ることができた。やはり、話し言葉だけで経営方針みたいなのを描かれてあったので少々内容が理解しづらく、難しい文章でもあった。でも、それは自分の読解力の乏しさと、知識が少ないだけであって、もうちょっと経済学・経営学を理解していればスラスラと読むことができたと思う。
今回、初めて「企業小説」といったジャンルの小説を読んだが、普通の小説のように、最後に大どんでん返しがあったりしておもしろかった。経済学・経営学の本を実際手に取って勉強しようという習慣が少ない私には、こういった形で手を付けるのもアリだなと感じた。
  

●#14:『歪んだ器』

清水一行の「歪んだ器」を読んで、この話はクリーニング会社白井舎の経営者である藤井一族を中心に話が進み、事業の失敗、北千住の町おこし問題や母親問題、浮気問題が話の中にでていた。これらの問題が解決はしないがとりあえずひと段落で話が終わっている作風は自分でその後を想像できるという点で面白かった。
この話は家族の問題と平行して町おこしの問題があったが、これは次男の伸介が手がけていた北千住の商店街を活気づかせるために考えていたものだった。本には「いまの時代、リストラとかの騒ぎのあるサラリーマンの方が、真剣に先のことを考えている。何とかなるだろう、これまでも何とかなってきたんだからって、商店主の方がすっかり遅れをとってしまっている。その気になって考えてみると、商店街はお先真っ暗。なのにその危機感が無い。」とあった。この後のストーリーは伸介の商店を止めて、ガラス工房にしようとしていたが、サラリーマンがリストラされて転職するのと商店を閉めて店の種類を変えることに対して、とてもじゃないけど同じ物事として考えるにはスケールが違いすぎると思った。しかし、解説部分にあった「よく、ひとつの業態は30年をもって、歴史的、社会的なニーズを失うといわれている。企業小説を書き続けて30年いい加減に足を洗ってもいいんじゃないかと〜(中略)〜がやはり書き続けようと結論するほかなかった。しかし何かを変えなければ、書き続ける意味が無い。」と作者の意識も含めてこの話を考えるなら今求められているのは、21世紀という転換期にふさわしい「新しさ」なのかもしれないと思った。そこで必要になってくるのが新しいものを作り出せる「若さ」や「アイディア」なのだと感じた。今の時代、60,70歳でも元気に仕事ができる。しかし、30年で一つのニーズが失われると同時に世代も変わることに気がつく。世代を担う人達が「新しさ」を求めない限りはきっと現代は活気付くことはないんだと思った。
本の背表紙に「人と街が 『再生』するということ」と書いてあった。高度成長やバブルで景気のいい時代があった。そしてバブル崩壊という景気の落ち込んだ時代もあった。人の暮らしを見ると、借金に悩み貧しく暮らす人もいれば、豪華なお屋敷生活をする人だっている。世の中の不平等、不合理もまかり通る歪んだ時代にもし人々がかつてのような人と街が活気にあふれるような時代に戻れると考えるなら現代が求める「新しさ」をこの物語のように作っていかなければならないし、また現代の「若者」なら作っていけると思った。

●#15:『消費者金融』

最初、この小説を手に取ったとき、漠然としたイメージとして、消費者金融に多額債務をしてしまった人の話かなと思っていましたが、実際読んでいくとその逆で、消費者金融の企業の内幕について書かれた小説で、少し意表をつかれた感じがしました。経済小説というものを読むことも初めてで、知識の乏しい私には少し難しくて理解しがたいところもありましたが、全体的にとても読みやすくて読み進めていくうちに夢中になってしまいました。
この小説は、消費者金融の再生に賭ける男たちの闘いが書かれています。主人公である玉崎英太郎は、昭和40年代からいわゆる“サラ金”を営んでおり、月9%の高利でお金を貸し、不払い者の家に押しかけて夜襲などという強奪も行っていました。しかしそのことがマスコミから非難され、同窓から消費者金融が制度化されていてその先進国でもあるアメリカに勉強しにいくように勧められます。玉崎はアメリカへ渡り、消費者金融の実情を調査し多くのことを吸収し、帰国後はアメリカに習って金利を下げますが、うまくいかず失敗、そして倒産となってしまいます。しかし、玉崎はアメリカで学んだことを生かして、優良利用客と不良利用客を見分けるクレジットコレクションサービスを行う会社を設立し、日本の消費者金融を変えるため、妻や社員と共に努力していく姿が活写されています。
“消費者金融”と聞くと第一に、高い金利や脅しのようなひどい取立てなどの恐ろしいイメージがありました。しかし、この小説を読んで、それは一概に言えることではないのだということがわかったような気がしました。このコレクションサービスの会社では債務者に対して、これからどう借金を返済したらいいのかなどのカウンセリングをするのです。消費者金融がこんなことをするのかと、私はとても驚きました。また、消費者金融は銀行の手の届かないところを補っているというのも事実としてあるそうなので、悪いイメージだけでかためてしまうのもどうなのだろうかと考えさせられました。
現在、消費者金融は街中にあふれていて、あらゆるところにそういった看板が見受けられます。また、審査もなしに信じられないような高利でお金を貸している“ヤミ金”とよばれる消費者金融もあり、借りようと思えば誰でも借りることができるという恐ろしい現状になっています。そんな現状のなかで、私たち消費者は、安易にお金を借りないことはもちろんですが、しっかり自己をもって生活していくべきなのではないかと感じました。
私はこの小説を読んで、とてもためになり、同時にこういった実情について興味が湧き、もっと知りたくなりました。また、機会があったらぜひまた経済小説を読んでみたいと思いました。

●#16:『管理職降格』

初めて経済小説というジャンルの小説を読みました。この本を読む前は、経済小説という以上経済に関する話がどんどん出てくるものだと思い込んでいました。しかし、内容は仕事と家庭の2つの場面に分けられて進んでいくものでした。伏線が数多く張り巡らされていて、1回目に読んだときには分からなかった様々なつながりが2回目に読んだときには気付くことができ、飽きることはありませんでした。
読み終えて率直に感じたことは、社会は甘くない、正しいことを貫くだけでは生き残っていけないということと、家庭の大切さでした。ただ、少し重い内容だったように感じました。それは自分が今まで自分の好きな本しか読んでいなかった故の考え方の狭さに気付かされたと言えるかもしれません。
この本の中でとりわけ読み入ってしまったのは、主人公津川の妻である真弓との血のつながりの無い娘、紀子の複雑な心境が描写される場面と津川と真弓との夫婦仲に不倫によって亀裂が入ってしまう場面、そして津川と部下の加藤とのリベートの是非で生じた確執の場面でした。特に津川と加藤の確執の場面では、社会的モラル・道徳を守ろうとする立場と企業利益を追求しようとする立場の意見がぶつかり合い、果たしてどちらが正しいのか?と深く考えさせられました。感情論で言えば、正しいことを貫こうとした津川を肯定するかもしれません。しかし客観的立場から言えば、悪を犯しつつもそれを必要悪と割り切り、利益を追求した加藤を肯定すると思います。結果、津川は降格し加藤は表彰されることとなりました。19年生きてきて、悲しくも正しくないことがまかり通っている世の中の不合理さには少なからず気付いているつもりですが、社会の実態はこういうものなのか、とがっかりしてしまったのが正直な感想でした。
この本が書かれたのが1994年。今から10年前ということもあり、企業の経営方針、ライフスタイルも現在と同じものさしではかることはできないと思います。しかし、これからまた10年という時間を経てこの本を読んでみても、感じるものは同じではないかと思いました。社会情勢がいくら変わろうとも、正しいことだけでは生きてゆけないのが社会だと思います。まだ社会に出ていない自分にはこの本を読むのは少し早かったかもしれませんが、得られたものはたくさんありました。
どんな困難に対峙しても、強くしぶとく生きていける人間になりたい。そしてあたたかい家庭を築き、家族を大切にできる人間になりたいと思いました。

●#17『談合〜ゼネコン入札の舞台裏〜』

この小説は、建設会社の裏側を書いたもので、今まで見たことの無い世界を見ることができたのでとても面白かった。どのゼネコンが大きな公共事業を受注することができるのか、各ゼネコンがそれぞれ社運をかけて必死になっている姿が描かれていた。その戦いの中で、お金の動きがほんとに多くて、賄賂なんか当たり前だったことにすごく驚いた。何百万というお金が代議士や建設省の役人に支払われているのだ。日常ならありえないことである。でもこれが簡単に行われているところがゼネコンの裏側なのだと思った。みんながみんなこういうやり方になれてしまっている感じがした。とにかく自分の利益になることだけを考えて行動しているように感じた。たしかに、誰でもそうなのかもしれないが、義理や人情はほとんどなく、「自分のためにこの人はどこまで役に立つのか」という目ですべての人を見ているような、そんな寂しい感じを受けた。いくら信頼をしているといっても、けっきょく自分にとって不利に働くようになったとたんに、その人を切るというのが私には考えられなかった。
一方で、私はやっぱり主人公の立川という人物に肩入れして読みすすめてしまったために、談合自体悪いことのような感じがしなくなってしまった。もちろんいけないことだとはわかっている。でも、裏側なんてこんなものなんだという考えも持った。つい立川の所属している白鳳建設に頑張ってほしいという気持ちになって、応援してしまった。談合マンをかっこいいとも思えるほどだった。
もうひとつ大きな感想として、この小説に出てくるすべての人が家族というものを感じさせない人ばかりだったことだ。「最高に幸せだ」という感想を抱くときに、天下り先が安泰だということなどの、自分の利益のことばかりなのだ。それがそんなに幸せなのかという気がした。もっと他に幸せを感じないのだろうかとも思った。 この小説では、自分の利益のためにならなんでもするという貪欲な人間の姿が描かれていてとても面白かった。人間とは本来こういうものなのかもしれないし、もっと利益とは違うところで幸せを感じられるものなのかもしれないが、ある部分の本質を見ることができたと思う。談合というものがまかりとおっているのは、やっぱり人間が本来貪欲な生き物であるからかもしれないと思った

●#18:『粉飾決算』

第8章における主人公(慎二)とその息子(翔太)との「サラリーマンの疲労原因は仕事ではなく、人間関係が一番大きい」という内容の会話が印象的だった。なぜなら、ゼミでも人間関係が疲労原因になることをやった覚えがないからだ。この『粉飾決算』には不良債権、株価、ゼネコン、企業舎弟、バブル経済、不動産投資などの多くの経済専門用語が出てくるが、自分はむしろ泥沼という言葉がぴったりな人間関係とその人間関係を巡る物語の展開に引き込まれた。
猫田部長、安原副部長、広岡、小栗はプライドが高く、自分の損得でしか物事を考えない典型的な商社マン達で、出世欲があり、成績を上げることにこだわり、私腹を肥やし、それらのためには、仲間を売るなど悪を平然とやる。一方、主人公は会社を愛し、一生懸命尽くしている。主人公は不動産投資にからんだ商社と裏社会の黒い結びつき(暴力団)に巻き込まれ、会社に尽くしていたのにもかかわらず、その会社に裏切られ、格下の部署に異動となり、挙げ句の果てには背任の噂まで流される。そうして主人公は会社に尊敬できる人が一人もいなくなった。しかし、何度も挫けそうになりながらその度に家族や、仲間(特に根津、志水)の支えで乗り越えて行く。その中で主人公は「(フリーターになったとしても)やりたいことが一番(この物語では主人公の息子がフリーターになる)、親子で一緒に酒を飲めるだけで幸せというものではないか」と思うようになる。そしてこれは「一つにしがみつかない新しい時代の生き方」を考えさせてくれる。しかし、実はこのような考え方が日本人の間にすでに広がっていることが文部科学省調査でわかった。
過去十年間の生活水準の変化について「悪くなった」と感じる人が39%と過去最多、また、「心が豊か」と感じる人が最低の25%。このことは、将来に対する日本人の悲観的な傾向が強まっていることを示す。だが、「暮らしに満足」と答えた人が全体の8割近くにもぼっている。どういうことか。私は初め生活が悪くなっても満足しているということは生活に対して妥協しているのではないかと悪い意味に考えたのだが、この本を読んだ後は複雑な人間関係などの事情があることが分かって、生活が悪くなっても満足しているということを主人公のような良い意味でも考えられることができた。
今、日本経済は不良債権問題が片付いていないらしい。多くの不良債権が残っているという事だ。ならばこの泥沼化したフィクションが実際にあるのではないだろうか。私は、日本社会が胸をはって豊かな国だとは言い切れない気がした。

●#19:『取引』

わたしは真保祐一さんの「取引」を読みました。乱歩賞作家である真保さんの作品を読んだのは初めてだったのですが、読み始めるとすぐに物語にのめり込んでしまい、さきが見えないストーリー展開にわくわくしながら読むことが出来ました。主人公は公正取引委員会の審査官で、公正取引委員会という機関は普段ニュースでもよく耳にするのですが、実際どんなことをしているのかとか、その役割だとかは知りませんでした。本をたのしみながら読んでいく中で、そういった知識も得られるということは読書のとても素晴らしいところだと感じます。
本の内容としては、フィリピンでODA(政府開発援助)プロジェクトが行われる計画があがり、その利権を得るために商社・建設業界などがこぞって動き出し、その動きに不正がないかどうかを調査するために公正取引委員会審査官の伊田が、秘密審査官としてフィリピンにとぶというところから始まります。そして、その利権を得たがっている商社の中には伊田の高校の同級生である遠山もいて、彼にも調査のため近づきます。その遠山のフィリピン人の妻が、ある事件に巻き込まれて殺され、そして娘のクリスも誘拐されてしまい、その事件を追うというものになります。このなかで、まずは昔の友人までも調査の対象とし、利用するということに対して、すこし切なさを感じました。もし、その友人の建設企業に不正がみられたら、自分の手で友人の会社を摘発しなくてはならないのですから、ちょっとやそっとで、できるものではないと感じました。それと同時に、ODAの利権を得るということは建設業界や政治家にとって、とても利益があることで、その利権を得るためにあらゆる根回しが行われている現実に嫌なものを感じました。そして、この本を読んで分かったことのひとつとして、フィリピン人の日本人に対する見方だとか、フィリピンの現状というものであります。フィリピンでは、警察というものがうまく機能しておらず、お金を持っていないと動いてくれないということに驚いたし、売春や恐ろしくも誘拐したこどもを売り飛ばしたり、下手をすれば臓器目当てで誘拐といった裏ルートの確立していることにショックをうけました。遠山は誘拐された自分の子を取り戻すために、必死に動きます。そこに親の子どもに対する計り知れないほどの愛というものを感じました。
この小説は最後の最後までどのような展開をみせてくるのかがほんとうにどきどきものでした。頭の中でつながりを考えながら読んでいくのがとても楽しかったです。このジャンルの小説はいままであまり読んだことはなかったのですが、たのしみながら知識も得られるという点でこれからも読んでいきたいなと思いました。

●#20:『ヘッジファンド』

この本の著者は証券会社の元ディーラーであったというだけあって、市場関係者なら誰でも味わう緊張感や孤独感、恐怖などが読み手にリアルに伝わるように書かれていてとても面白く、集中して短期間に読み終えてしまったけれども、クライマックスの場面での現実離れした展開が少し残念だった。市場の流れが自分の思っている方向と全く逆の方向に動いてしまっているのに、これだけの利益を上げられるだけのポジションの反転は不可能なはずであるのにこの小説では成功してしまっているのだ。これは本来ありえないことである。もう少し現実的な結果だったら最後まで楽しく読めたと思うけれどもこの点で評価が格段に落ちてしまったのは非常に残念だった。
この本を通して考えさせられたことがひとつだけある。それは「円安は善か」ということである。この本の主人公である岡田は、小さな町で輸出用製品を製造する零細企業を順調に営む家庭に生まれ育った。しかしながら、後に、岡田の父親の会社は急激な円高によって収益が悪化し、金策に苦労していた父親は過労死で死んでしまった。このような過去を持つ主人公にとって「円安は善」「円高は悪」であるという考えを持っている。
果たして、この考えは正しいのだろうか。
確かに、輸出産業にとって円高は悪であるかもしれない。しかし、日本全体の経済を見たときにはどうだろうか。資源の乏しい日本では主に原材料を輸入して製品を作って販売している。この事を考えると円安は必ずしも善ではないような気がしてしまうし、むしろ悪であるともいえる。円高の場合の日本のメーカーは原材料を安く調達することが可能になるため製造コストが安く済む。日本のメーカーは円高の方が利潤は大きいのだ。これがもし円安になってしまうとどうなるか。現代の日本では、原材料費は高騰し、それと同時にデフレという状態に陥ってしまっている。これではメーカーの収益は殆どなくなってしまうだろう。その結果、倒産が相次いで起こってしまうのである。この例は極端な話かもしれないが、円安ということは円の価値が他の通貨に比べて下がってしまっているという意味である。本来、価値が下がるというのは好ましくない状況なはずである。 最後に、本の感想とは関係ないけれども、今日学校へ行く途中に見たあるビジネスマンは携帯で株価をチェックした瞬間、ひどいショックを受けたらしく頭を抱えて座り込んでしまっていた。よほど大きなポジションを持っていたのだろうか。その人の今後が気になっている。