もし・・・ならば

「もし○○ならば、・・・」という一言は、軽い話を始めたい時にしばしばもちだされる。例えば、もし子供に戻れるならば、もし鳥のように空を飛べるならば、・・・、と言う類である。

私たちは時空を自由に飛び回ることはできない。〈もしも〉望む時代、好きな場所に思うがまま身をおけるとすれば、さまざまな問題が瞬時に片付くようにも思える。

毎日の〈痛勤〉に体力を消耗している人であれば、仮想のドアを開けると職場になっていることを夢想するかも知れない。瞬間移動するのだから〈痛勤問題〉は解決する。それに単身赴任もなくなるでしょう。

歴史の針を戻すこともできない。できないからこそ、人は「時を自由に移動」する道具を夢想する。物語に時間を自由に移動できる設定が登場するわけです。視聴率が高いと評判のドラマ「JIN〜仁〜」もその一つ。江戸時代にタイムスリップしてしまった現代の脳外科医が主人公。歴史上の重要人物の病を治療する場面になると、完治させてしまえば歴史を変えてしまうのではないか、と悩んだりする。そこにドラマが生まれる。現代から過去へ移動するのとは逆に、未来から現代に来るという話もある。珈琲飲料のCMに登場する〈宇宙人〉もその一つ。宇宙人の目から見た、現代=地球人の奇妙さに気づかせるという設定。

ドラマやCMではなく、現実に目を転じよう。人々に大きな悲しみをもたらした出来事があったとする。出来事の前日に戻れるならば、悲しみに出会わなくて済む。戻りたいと人々は切に願う。でも、それは果たせない。

いま何が欲しいですかと問われたとき、多くを喪った人は「何事もなく平穏に過ごしていた日に戻りたい」と。

現実には実現できない事態を想起してみる。「もし○○ならば」と想像することで、現実の〈重さ〉を知ることもできる。現実から逃避するためではなく、平穏から離れてしまった〈いま〉を再考するための〈もしも〉という思考があってもいい。

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