誰が面倒をみるべきか

同居していない子どもは平均を大きく上回る収入を得ている。しかし、親が生活保護を受けている。おかしいのではないか、という議論がある。当然、収入のある子どもが親の経済的援助をすべきなのに、国からの援助を受けるのはいかがなものか、ということである。生活保護費が急増している現実からも、賛成する人も多いようだ。

まっとうに働いて得る収入より、生活保護を受けた方が収入が高くなるから、働かなくなってしまう人も増えるという議論もある。たしかに問題の一面を衝いていると思うが、なぜ低賃金で働かねばならないのか、働かされているのかを明らかにすることの重要性を忘れてはならない。

 

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見知らぬ人

駅をはじめとする公の場では、人と肩をぶつけることも少なくない。些細な(と思われるような)ことで人を傷つけてしまう。そんなできことが後を絶たない。

大都会を別にして、小さな街で散歩している時、見知らぬ者同士でもお互いに軽く挨拶する。外国ではよく見られる光景である。さまざまな人種がともに暮らす社会では、自分は危険ではないことを示すために、微笑むのだと説明する人もいる。

外国に限らず、日本でも見知らぬ者同士が挨拶する場面がある。例えば、ハイキングにでかけ、山道で、降りてきた人とすれ違う時、ごく自然に「こんにちわ!」と挨拶する。朝の早い時間にウォーキングしている時でも、やはり「お早うございます」と声をかける。

人混みにあっても、キレることなく、穏やかに見知らぬ者同士が接する知恵をもっていたものだ。

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劣等感がない

留年という制度がある。

一年間に履修すべき科目が定められていて、不合格になった科目があれば、もう一度同じ学年を繰り返す。同じ学年に留まるから留年というわけだ。大学生ならば、ともかく、初級学校だったら、留年した子どもは自分をどのように受け止めるだろうか。おそらくは「劣等感」をもつだろう。

個性・能力がさまざまな子どもを、同じ物差し(具体的には点数で表される)で測って、〈できる子〉と〈できない子〉に区別できるという考え方が前提にある。

教育の場で、繰り返し、議論されていることに過ぎないが、劣等感をもつ子どもが一人もいない学校を作れないのだろうか。

 

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「稼ぎたい」「稼いで」

「男性の役割分担意識」にかんして「5つの志向性」の分類がなされている。主権的役割志向、経済的役割志向、社会的役割志向、私的感情の抑制志向、そして日常生活依存志向の5つである。

二つ目の経済的役割志向とは「家族を経済的に支えるのは自分で、妻が働くことは期待しない志向性」を指す。

では、結婚後の役割についてはどういう結果になっているか。

「(結婚したら)妻にはできるだけ稼いでもらいたい」とした男性。

「とてもそう思う」と「ややそう思う」を加えると未婚者と既婚者の合計では18.3%となっている。

他方で「(結婚したら)自分もできるだけ稼ぎたい」と答えた女性。

「とてもそう思う」と「ややそう思う」を加えると未婚者と既婚者の合計では46.9%となっている。

18.3%と46.9%の差。

いろいろな読み方ができそうです。

未婚者と既婚者との違い。年齢による違い。細かくみていけば、二つの数字の「差」の読み方も変わってくる。

調査の詳細については以下を見ればよい。

『「男性にとっての男女共同参画」に関する意識調査報告書』

http://www.gender.go.jp/research/dansei_ishiki/index.html

「稼いで」「稼ぎたい」。

「稼がねばならない」というのも、忘れてはならない。

 

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四人に一人

 

人生を終わらせるという選択。

『自殺にかんする成人の意識調査』(内閣府)が公表された(『日経(5/2付)』)。

「自殺をしたいと思ったことがある」人の割合が23.4%。前回調査(2008年)よりも4.3ポイント上昇している。年代別で見ると、20歳代が28.4%で一番高い。

60歳代では20.4%。

命を育むという選択 (共に生きるという人生を始める)。

15歳未満のこどもの数は1665年人(4月1日時点)、31年連続の減少。総人口(1億2765万人)に占める割合は13.0%で、38年連続で低下している(『朝日(5/5付)』)。

〈7.7人に一人〉が子供という時代。

60歳代が生を受けたのは1950年前後。その頃の子供の割合は35.4%(1950年)。

〈2.8人に一人〉が子供という時代だった。国際比較すれば、ほぼこの値に近いのがインド(35.3%、2001年3月1日時点)。[データの詳細は、総務省のHP(我が国のこどもの数)を参照。]

平均してみると〈四人に一人〉が自死を思ったことがあり、子どもの数が減り続ける日本社会。

 

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日本製は特別(?!)

久しぶりに家電量販店にでかけた。

冷蔵庫が展示されているコーナーに足を運んだ。扉に「日本製」と書かれたシールが貼られている。もちろん、張っていない商品もある。グローバル化した世界では、日本の家電メーカーといえども、すべてを国内工場で生産しているわけではない。

冷蔵庫の扉を開けてみれば、生産された国が表示されている。中国製、タイ製が目立つ。

「日本製」というシールがあるのに、「中国製」「タイ製」のシールがないのはなぜか。日本製は、顧客にアピールしても、外国製はそうではないということの証しなのか。

グローバル化をめぐる身近な光景を目にした気分である。

 

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一番幸せな国はどこか?

世界でもっとも幸せな国は?

 

Earth Institute (Columbia University)が作成したWorld Happiness Report。

“First World Happiness Report Launched at the United Nations”

http://www.earth.columbia.edu/articles/view/2960

 

Life evaluation score (0-to-10 scale)で測ったとき、上位国は北欧(Denmark, Norway, Finland, Netherland)。平均で7.6。下位国はサハラ砂漠以南の国(Togo, Benin, Central African Republic, Sierra Leone)。平均で3.4。

どのようなデータをもとにして、Happinessを測るScaleを作成したら良いか。簡単な仕事ではない。国のレベルと個人レベルという区別も考えねばならない。

Happinessを左右する要因として、政治的自由、緊密な社会的繋がり、精神的・身体的健康、職の安定性等々が挙げられている。

Reportの要約を見ると興味深い。例えば年代、性別に着目すると、

・“In advanced countries, women are happier than men, while the position is mixed.”

・“Happiness is lowest in middle age.”

といった点が指摘されている。先進国の「中年男性」はつらい(!?)

今後、ますますHappinessをめぐる議論が活発になっていくでしょうね。

 

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水の中にかかる橋

『朝日新聞(4/17付)』が作家村上春樹のハワイ大での講演・朗読を紹介していた。講演のタイトルは ”What I talk about when I talk about writing (書くことについて語る時に僕が語ること)”。

記事の一部を引用させていただく。

『村上は想像力を通してしか見ることができない「水の中にかかる橋」について英語で話した。「自分の中にある不思議な部屋の扉が開いた時にそれを見ることができる。それは人生観すら変えることがある。そのような体験をさせることができるのが小説の力だ。』

「水の中にかかる橋」。

読んだ瞬間に想像力をかき立てる。・・・。「講演」のテキストを是非、読みたいと思うのだが、公表されていないようだ。

 

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いるのにいない

同じ空間にいるのにいない。

当たり前に考えれば、いるのに「いない」という事態はありえない。いないことにするという人為的な意図・行動があってはじめて成立する。

具体的にどんな状況が考えられるだろうか。

「いじめ」。学校でも、会社でも、そして家庭でも。

自分たちとは違う人とするために「線引き」される。引かれた線のこちら側と向こう側。

線引きを合理化する理屈は、ほとんどの場合が 〈不合理〉、〈不条理〉。

ボーダーレスな社会になっていると言われているが、ボーダーレスな社会になっていくにともない、ますますその内なる世界に 〈線引き〉がなされていく。自分の身を守るため、という理由。

抽象的すぎるかも知れないが、いま考えるべきは、〈境界線〉。

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○○するつもりはなかった

自らの失敗を弁護する時に「○○するつもりはなかった」と言う。今晩中に小説を読み切ろうと決めたのに、ついうとうとと寝てしまい、気付いたら外は明るくなっている。「あーぁ、寝るつもりはなかった」のに。個人的なできごとであれば、他者に与える影響はない。

しかし公の仕事になれば、そうはいかない。顧客から資金を預かって運用する。運用実績は顧客にたいして「正確に」伝えねばならない。当たり前のことである。

 

「水増しした数字と認識していた」にもかかわらず「だますつもりはなかった」。

ほとんどの人にとって、「虚偽を伝える」ことは「他者をだますこと」と同じ。でもそのように考えない人もいるようだ。まったく理解できない。

現時点では「赤字」であっても、将来時点で「黒字」にさせる自信があるから、「黒字です」と取りあえず言っておいても、騙したことにならないという理屈。期待通りに推移すれば、黒字になるのだから、「一時的に」赤字であったことは問題にならない。こういう思考の道筋なのかも。

ギャンブルにのめり込んでしまう人の心性はこんなところにある。いまは「負けて」いても、いずれ「勝つ」のだから、今の負けは問題でない。取り返せば良いだけのこと。

経済行為はギャンブルではない。

 

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