自らの失敗を弁護する時に「○○するつもりはなかった」と言う。今晩中に小説を読み切ろうと決めたのに、ついうとうとと寝てしまい、気付いたら外は明るくなっている。「あーぁ、寝るつもりはなかった」のに。個人的なできごとであれば、他者に与える影響はない。
しかし公の仕事になれば、そうはいかない。顧客から資金を預かって運用する。運用実績は顧客にたいして「正確に」伝えねばならない。当たり前のことである。
「水増しした数字と認識していた」にもかかわらず「だますつもりはなかった」。
ほとんどの人にとって、「虚偽を伝える」ことは「他者をだますこと」と同じ。でもそのように考えない人もいるようだ。まったく理解できない。
現時点では「赤字」であっても、将来時点で「黒字」にさせる自信があるから、「黒字です」と取りあえず言っておいても、騙したことにならないという理屈。期待通りに推移すれば、黒字になるのだから、「一時的に」赤字であったことは問題にならない。こういう思考の道筋なのかも。
ギャンブルにのめり込んでしまう人の心性はこんなところにある。いまは「負けて」いても、いずれ「勝つ」のだから、今の負けは問題でない。取り返せば良いだけのこと。
経済行為はギャンブルではない。