ひとの〈価値〉

そもそも、人の〈価値〉は金銭で測るものではない。

とはいえ、人の〈影響力〉を貨幣額で表現されることも多い。アップルのジョブズ氏が最高経営責任者を退任し、取締役会長になったという報道があった。アップルの時価総額は、今年4-6月期に米企業第一位になった。ジョブス氏退任が伝えられたとたんに、この時価総額が240億ドル(およそ1兆8400億円)減少したと言われている。この減少分が、ジョブズ氏の〈影響力〉の大きさとも言える。

株価はさまざまな要因によって上下するので、単純化しすぎのも良くないが、アップルCEOの〈経済的大きさ〉を改めて実感させられた。

 

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A型人間は○○?

就職試験の面接で血液型をたずねる企業があるという。「A型です」と回答したら、試験官は「マジメな性格なのだ」と判断するのだろうか。目の前に座っている受験生を見極めるのが仕事のはずなのに、と訝る人が多いはずだ。あるいは、こんな質問を投げかけるような会社に不安を感じてしまうだろう。

性格と血液型。

たわいないオシャベリの話題にするだけなら、許容されてよい。だが、進路を左右する場でもちだすのはいかがなものだろう。呆れてしまった。

 

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静かな空間

アメリカ合衆国の鉄道アムトラック(Amtrak)には “Quiet car”があると知った。

“a peaceful, quiet atmosphere”が提供されるわけです。携帯電話をはじめとする機器の使用は控えねばならない。AmtrakのHPに書かれているガイドラインには次の文章があった。

“Quiet Talking Only, Please: Customers must strictly limit conversation and speak only in quiet, subdued tones. If you’d like to carry on an extended conversation, please relocate to another car.”

大声で騒ぐ子供、それを注意しない親たち、酔っ払って喋り続けるグループ等々に辟易した経験をもつ人は多いでしょう。いつでも、どこでも、音楽が愉しめたり、人と話せるのは、とても便利。でも、静かに過ごしたいと思っている人の存在を忘れがちになる。音にたいして寛容になりすぎてしまっている。

女性専用車両があるのだから、日本にも“Quiet car”があってもいい。

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「いい人」と収入

「いい人」は収入(稼ぎ)が多いか、あるいは少ないのか。「いい人」を明確に定義しない限り、問いとしては成立しないのだけど、「正直者は馬鹿をみる」という言葉もあるほどだから、いい人は損をするという感じをもたれているかな。「正直は一生の宝」、「正直の頭に神宿る」という慣用句もあるから、結局は損得の問題ではない。

“agreeableness” と”income”の関係を分析した論文が「いい人は稼ぎが少ない」という見出しで紹介されていた。調べてみると次の論文がそれ。

Timothy Judge (University of Notre Dame), Beth A. Livingston (Cornell University), Charlice Hurst (University of Western Ontario) “DOES IT PAY TO BE NICE? THE EFFECT OF AGREEABLENESS ON THE GENDER WAGE GAP”

“agreeable man” =「いい人」となるかどうか不明だが、この研究がそこここで話題になっているようだ。

金価格が高騰していると聞いて手持ちの金のネックレスや金時計などを子供と一緒に売りに行く人たちの様子がニュースにあった。経済状況に〈敏感に〉反応して行動できる人は〈いい人〉なのかな。

 

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平凡さ

終戦の日、そして大文字送り火が終わった。

今年の夏は多くの人にとって「特別」な思いを懐かせた。

故郷でお盆休みを過ごした人たちがUターンしてくる。毎年のように伝えられる定番ニュース。

渋滞する道路、混雑する駅・空港。

渋滞が予想される道路にわざわざ出向いて「渋滞しています」と実況する放送局もある。でかけなければ、確実に一台分は混雑が解消されるのに、と思う人も多いはずです。テレビ番組はおかしなことをするものだ。

 

混雑状況を伝える映像。天候が変わらなければ、一年前の映像を流しても誰も気づかないかも知れない。そんなことを思いつくほどに、毎年同じことが繰り返される。当たり前のように起きること。平凡さ。

 

人々の暮らしは、この平凡さにある。失って、初めて実感される平凡さのもつ〈かけがえのない重み〉。

 

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実る

 

 

 

 

 

 

 

 

以前に写真を掲載したゴーヤ。だいぶ大きく成長した。

ベランダのオリーブも実をつけた。

実をつける植物をながめていると、ついつい人間世界に思いをはせてしまう。

八月の夏休みをどのように過ごすかで、充実した秋を迎えられるか決まる。受験生時代に「夏を制するものは入試を制する」云々と言われた記憶をもつ人も多いのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

ゴーヤの実が黄色くなり、割れてなかから種が出てきた。

 

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納得できる支払い

賃貸住宅の契約更新時に「更新料」をとる契約の有効性が争われた裁判。

最高裁が「高額すぎなければ有効」との判断を示した (『朝日』7月16日付)。この最高裁判断にたいして、『日経 (7月20日付)』が「誰にでも分かる家賃体系を」、そして『朝日(7月20日付)』が「家賃判決: 透明性高める努力を」と題した社説を掲げている。

性格や支払い根拠が明確でなければ、誰でも釈然としない気持ちをいだく。嫌ならば、契約しなければ良いと借り主は言う。しかし、住まいを確保しなければ、暮らせない。衣食住を満たさざるを得ない。住まいを所有していない者は、借りなければならない。弱い立場の人間に対して「嫌ならば・・・」という理屈をたてるのはどうか。安い賃金の仕事を提示して「嫌ならば働かなければ良い」とは言えないはずである。

「意義付けをめぐって訴訟が相次ぎ、トラブルが続くような契約はそもそも不適切なのではないか」と日経の社説は疑問を呈している。貸し手・借りての双方が「納得できる」「透明性の高い」契約にすべきだとの主張を否定する者はいないはずである。この判決で、すべてを決着とするのではなく、お互いの実質的な歩み寄りが求められているように思う。

若い頃、関西に住むことになり、アパート探しをした。高額の保証金を求める関西方式を知らなかったので、とても困った経験がある。賃貸契約は、全国一律ではなく、地方ごとに違いがあることも知らなかったわけだ。世間知らずも甚だしいと言われたものです。

賃貸契約ではなく、不動産の売買契約の場合。一生のうち経験するのは一回、ないし二回程度。不動産屋に仲介してもらい、成約すれば、購入金額の一部を「手数料」として支払わねばならない。仮に3000万円の物件で、3%とすれば、90万円。高いのか、それとも低いのか。不動産屋さんに、あちこち案内してもらっても、契約に至らなければ、何も支払わない。契約した人が、契約に至らなかった人が受けたサービス分も、実質的に支払っているようにも見えてくる。

世間には、「納得できない」、「透明性の高くない」契約が少なからずありそうである。経済学でいうところの「情報の非対称性」に関わってくる。

 

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小さな実

家族がベランダで育てているゴーヤ。

小さな実がつきました。植物は着実に成長していく。

植物への〈水遣り〉。

人の成長にとって必要なのは、何でしょうか。

 

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重い問いかけ

佐野眞一氏の『津波と原発』(講談社、2011年)に次のように記されていた。

『実際に被災した人には、何を甘ったるいことを言っているんだ、と言われそうだが、私にとってこの大災害の一番の辛さは、見たくないもの、聞きたくもないものに、還暦を過ぎて遭ったことである。それにしても、まさかこれほどの大災害に生きているうちに遭おうとは思わなかった。』(p.12)

佐野氏と同じ思いを懐いている還暦過ぎも多いのではないか。その思いをどのように形にしていくか、あるいは行動に移すかが問われてくる。

『私たちがいま迫られているのは、戦後とは何だったのか、繁栄とは何だったのかという重い問いかけである。』(p.178)

同じ佐野氏の作品である『東電OL殺人事件』と本書をつなげて見た時に、東電という企業の〈すがた〉が浮かび上がってくる。ノンフィクションの力に圧倒された。

 

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新入社員の意識

日本生産性本部の「新入社員の『働くことの意識』調査」をながめた。

意識変化の切れ目があることに気づく。

「仕事か生活か」。いずれを重視するか。もちろん「両立したい」と考える層が一番多い。仕事中心と生活中心の推移を見ると、1991年に切れ目がある。この年を境に生活中心と答える層が趨勢的に低下し、反対に仕事中心とする層が増えている。

1991年の切れ目は、もう一つの質問に対する回答にも見られる。「デートの約束があった時、残業を命じられたら、あなたはどうしますか」という質問である。1991年を境に「残業」を選ぶ人が趨勢的に増加し、「デート」を選ぶ人が減少している。

1990年代の入口で新入社員の意識変化があったとすれば、その変化をもたらした要因はなんなのだろう。

「この会社でずっと働きたいか」という質問については、おおざっぱに言って、2000年に切れ目がある。この年を境に「定年まで勤めたい」と答える層が趨勢的に増加し、「状況次第で変わる」と答える層が逓減している。2011年には両者が逆転し、定年まで勤めたいと答える割合が、状況次第で変わるという層を凌駕した。

1991年と2000年。たまたまかも知れないが、十年というタイムスパンで若者の意識が変わっている。

さらに仔細にデータを調べてみなければならない。なかなか興味深い調査結果である。

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