Whistle-blower

いま話題になっている九州電力の「やらせメール」。『朝日(7/9付け)』が「九電子会社の社員の内部告発で発覚した」と伝えている。

『コンプライアンスに反する行為は会社のためにならない』と。

ネット社会では、誰もが情報発信できる。些細なことが採り上げられ、なにかのきっかけに、事実とは関係ない方向に広まってしまうことがある。情報が氾濫している社会で、事実を見極めるのは難しい。だからこそ、内部にいる者による、今回のような〈ホイッスル・ブロー〉の果たす役割がはきわめて大きい。

 

 

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ゴーヤの花

今年の夏は、節電対策としてグリーンカーテン (グリーンウォール)を作っている人が多いようだ。我が家でもゴーヤを試しに栽培している。最近、花が咲いた。

緑が見えるだけでも、涼しげに感じる。

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最低賃金800円

最低賃金の水準を定める議論が始まった。2010年度の全国平均が730円であった。労働組合側は「全国最低800円」の実現を目指しているが、大震災の影響を受けて経営側は引き上げには慎重の状況のようだ。

かりに最低賃金であっても人々には「健康で文化的な最低限度の生活」が保証されなければならない。このことは、最低賃金法にも述べられている

第九条2 地域別最低賃金は、地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の最低賃金支払い能力を考慮して定められなければならない。

3 前項の労働者の生計費を考慮するに当たっては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする。

時給800円で1年間働いた時に、年収はいくらになるであろうか。

かりに一日も休まずに、1日8時間働いても、6400円/日×365日=233万6000円である。

年収300万円にも届かない。

これまでも議論され続けていることであるが、誰もが安心して暮らせるように「最低限度」を実質化しなければならない。

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ネット社会中国

中国共産党が創立されて90年。

いまや、国内総生産(GDP)世界第二位。経済大国である。

外車に乗って、週末にクラブにでかける者がいる。

一日1000元前後で働く者もいる。富の偏在、所得格差。

そのような中国での「ヒット商品 (日経BPのまとめ)」(cf. 『日経新聞』7/2付)。

1位 中国版ツイッター「新浪微博」

2位 アップル社のiPhone

3位 ネット共同購入サービス「団購」

まさに「ネット社会化」する中国を映しだしている。低賃金に喘いでいる労働者が自由にネットにアクセスする環境にあるとは思えない。百周年までの十年間で、中国はどんな社会に変わっていくのだろう。

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Global classroom

New York Times (June 14, 2011)の署名記事(T. L. Friedman) が M.Sandelを採り上げていた。付された見出しが “Justice Goes Global”。日本でブームを巻き起こしたように、中国でも大人気だという。Harvard大学の人気講義”Justice”が海を越え、日本で、中国で、そして韓国でもブームをまきおこしている。いまや、サンデルは超人気ロックシンガー並である。

Friedmanは、三つのトレンドが重なり合って人気を呼んだと述べている。

  • “the growth of online educaion”
  • “the craving in Asia for a more creative, discussion-based style of teaching”
  • “the hunger of young people to engage in moral reasoning and debates”

これら三つが、これまでどうなっていたのかと言えば、

  • 通信教育という形はあっても、生で講義を聴くためには教室に出向かねばならなかったし、
  • 大教室であれば教員が学生に一方的な講義するのが一般的であったし、

そして

  • 経済学・経営学・工学の技術的側面に限られた教育への関心が主流であった。

Sandelの言葉として、

“My dream is to create a video-linked global classroom, connecting students across cultures and national boundaries – to think through these moral questions together, to see what we can learn from one another.”

が引用されている。ここに述べられているような”global classroom”が実現すれば、きわめて excitingな空間になるでしょうね。

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ギャップの正体?

中国の高校生がアップル社のiPadを買うために自分の腎臓を売ったというニュースが報道された(『朝日』6月8日付)。

『どうしても欲しかったがお金がなく、インターネットで腎臓が2万元(約25万円)で売れると知った。』

中国の高校生が腎臓と引き替えても入手したいと熱望したiPadの魅力はなんなのだろう、といったこともあるが、「臓器売買」という事実を考えねばならない。

  • 臓器売買が、ここまで「当たり前」におこなわれているのか?
  • 誰が手術しているのだろうか?
  • 誰が買っているのだろうか?
  • 売買組織がどのように作られているのだろうか?

等々。「事実」にかかわる疑問はたくさんでてくる。

「そもそも」論で言えば、

  • カネで買えないもの/買うべきでないものはあるか?
  • もしあるとすれば、どんなものか?
  • なぜ、売ったり、買ったりしてはいけないのか?

という問題であろう。白熱教室で有名になったM. Sandelが採り上げる問題(Markets and Morals)にもつながる。例えば、『日本で「正義」の話をしよう』(2010年、早川書房)でも「議論①: 市場に道徳的な限界はあるか?」として論じられている。

臓器売買を採り上げたが、じつは、書きたいことはここからなのです。

「知識詰め込み教育からの脱却」と位置づけられた「ゆとり教育」。いま、大学に在学している若者たちは、いわゆる〈ゆとり〉世代。

彼/女たちは、上記のような問いをめぐる議論に積極的に取り組めるようになっているのだろうか。

彼/女たちは、何に関心をもち、何を求めているのだろうか。

思考するための素養として、何を身につけているのだろうか。

最近、〈ゆとり世代〉とのギャップを思い知らされる。「私たちのことをなにもわかっていない」と言い募る。ギャップは、それほど大きくないと楽観していたが、どうもそうではないらしい。

〈ギャップの正体〉がなんなのかを考えている。

 

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非現実的な夢想家

カタルーニャ国際賞授賞式(6月9日)での受賞スピーチで、村上春樹さんは大震災、そして原発を採り上げ、「我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった」「核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです」と論じた。

〈これから〉を模索する時『我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです』と訴えた。

「非現実的な夢想家」

「現実的に対処しなければならない」、「夢ばかり見ていないで、もっと現実的に考えなさい」、「抽象論で遊んでいないで、現実を見据えた理論を作らねば」等々。私たちをつねに「現実」を見ることを強いられている。でも、ほとんどの場合、現実的に考えると諭される時「現状を受け入れなさい」と同義である。現状を批判的に考察することなく、受け入れることが「現実的に対処する」ことにつながっている。

わたしたちの生存が保証されるかどうかという観点から現実的か否かが判断されねばならない。短期的に良さそうに見える(具体的には関係者の利益になる)行為が続けられた場合に、私たちの存在が危うくなるならば、その行為は『非現実的』なのである。そうした非現実的な行為・決定を否定することが「現実的」ということ。その意味で、”Real Utopia”を求める営みを続けねばならないのである。

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ツバメ

我が家のベランダにツバメが巣作りを始めた。いまの住まいに引っ越してきて五年近くになるが、じつは、これが初めてではない。二年前にも巣作りを始めたのだが、「竣工」に至る前に「工事中断」。さて、今年はどうなるやら。朝食時に観察するのが、〈ホッと一息〉の時間になっている。

 

マンションの玄関周りの天井部分はビニールで覆われている。巣作りができないようにするための処置である。たしかに巣の下はゴミが散らかってきたなくなる。巣作りは困るという人がいても不思議ではない。

でも、多少は汚れても、ツバメを受け入れる余裕があっても良いのではないかと思う。

One swallow does not make a summer.

「ツバメ一羽で夏にはならぬ (早合点は禁物)」という諺があるようだが、しばらく季節の移ろいを愉しみたい。

 

 

○6月19日の巣の状態です。ほぼ「竣工」した模様。

 

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レジリアントな社会

最近、多くの人が「復旧・復興」というように「復旧」と「復興」並べて話したり、書いたりする人が増えた。以前の状態に「戻す」だけでなく、あらたに「興す」ことも併せて考えねばならないということでしょう。

自然からの「外力」によって受けた災害(多くの場合、人災による)から、いかにして「復旧・復興」するか/できるか。できるだけ早く復旧するためにはどのような条件が備わっていなければならないか。おそらく、そのような問題意識から使われるようになったと思われる表現がある。

〈レジリアント〉な社会。

手元の電子辞書に収められている『ジーニアス英和大辞典』で与えられている訳語を引用しておく。

『resilient  adj.  1.〈圧縮に対して〉弾力のある、はね返る 2.〈不運・病気などから〉立ち直り[回復]の早い、快活な』

『resilience, resiliency n. 1.弾力性、2.回復力、快活、元気 3.[物理]〈弾力性のある物質の〉弾性エネルギー、4.[生態]復元力〈攪乱を受けた群集が元の状態に復帰できる能力〉』

これまでは、自然科学分野で使われていて、最近になって社会のあり方をめぐる議論に適用され始めたようである。「回復力のある」「外力に弾力的」「リスク対応力が高い」などの訳があるが、いまだ定訳はなさそうである。

自然の外力だけなく、経済危機・政治危機が起きた時の、社会の〈レジリアンス〉が問題。

社会の再生産がおこなわれるためには、人々が生きていくために満たされねばならないモノが生産されるだけでなく、生産するさいに切り結ばれる〈人とひとの関係〉も維持されねばならない。

レジリアンスの焦点は、〈人とひとの関係〉をどのように切り結べばいいいか、にある。

 

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原子炉と〈原始〉炉

『朝日新聞』の「サザエさんをさがして」(6月4日付)を見て、驚かされた。

原子の火が初めてともったのが、1957年8月27日。茨城県東海村の実験用1号原子炉が臨界に成功した日。

この日に新聞に掲載された「サザエさん」が採り上げられている。

『「原子時代」の到来と喜ぶ波平とマスオ。波平は余勢で、七輪を「旧弊なもの」と切り捨てる。一方のサザエは七輪を「原始炉」と呼び擁護する。科学の進歩という言葉に弱い男性と、生活感覚に根ざした女性との対比が鮮やかに描かれた。』

半世紀余り以前に描かれた四コマ漫画。今なお、今だからこそ、強く訴えかける。もちろん、反原発をテーマにした漫画ではないが、半世紀余りを超えて、新しい意味合いをもってしまった。

福島第一原発の営業運転が始まったのが1971年。すでに40年が経過しているわけだ。原発が停止すれば、それだけ電力供給が減少する。これまでcapacity一杯に使用していたとすれば、需要を減らすしかない。

電気もなく、ガスもなければ、〈原始炉〉に戻るしかない。

この半世紀のあいだ、何をしてきたのだろう、と誰もが自省しなければならない。

漫画のもつ生命力、そして作者の時代感覚に、あらためて驚かされた。

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