“tight” or “loose” ?

メリーランド大学を中心とする研究グループの文化にかんする調査結果が、Science 誌 (27 May 2011)に発表された。その内容が新聞でも採り上げられている。

発表された論文のタイトルは

“Differences Between Tight and Loose Cultures: A 33-Nation Study”

である。著者として43名の名前が連なっている。

Tight: “have many strong norms and a high tolerance of deviant behavior”

Loose: “have weak social norms and a high tolerance of deviant behavior”

社会規範の強さ、逸脱行動にたいする寛容さによって文化の違いを識別しようとする試み。さまざまな質問項目(“kissing in a bank, eating in a classroom etc.”)に対する回答をもとにして、tightnessを導き出したという。

33ヶ国の中に、もちろん日本も含まれている。ちなみに日本は第8位に位置している。どんな国がtightなんだろう。

33ヶ国のrankingで上位10ヶ国は、以下のようになっていた。

1. Pakistan

2. Malaysia

3. India

4. Singapore

5. South Korea

6. Norway

7. Turkey

8. Japan

9. China

10. Portugal

この10ヶ国をながめていて、なんとなくわかる、という気分になれるでしょうか。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

「神戸」から考える

四月に「癒す」というテーマで、安克昌氏の『心の傷を癒すということ』に触れた。本書に「序」を寄せている中井久夫氏の著作が再編集されて、相次いで出版された。

中井久夫『災害がほんとうに襲った時: 阪神淡路大震災50日の記録』みすず書房、2011年

中井久夫『復興の道なかばで:阪神淡路大震災一年の記録』みすず書房、2011年

 

阪神淡路大震災と東日本大震災。

両者を比較することに意味を見いだすのではなく、16年前の経験を生かす。このためにも、中井氏の著作が、いま読まれるべきであろう。

中井久夫「災害がほんとうに襲った時」の電子データは以下に公開されている。

http://homepage2.nifty.com/jyuseiran/shin/shin00.html

 

カテゴリー: 未分類 | コメントする

Apple 教

BBCの番組を紹介する記事が目にとまった。「スーパーブランドの秘密(Secrets of the Superbrnds)」というドキュメンタリー番組なのだが、Apple, Microsoft, Googleが世界の巨大企業に成長した理由を探ろうとしている。番組は観ていないので、ここで触れられるのは記事の内容に限られる。

Appleの狂信的ユーザーの脳をMRIで検査したところ、宗教信者にみられるのと同様の結果が得られたという。崇拝するもの/人にたいする脳内反応が同じなのだそうだ。

“The similarities Apple and religion”

僕自身もMac userなのだが、信仰心はない。でも、どこかで宗教信者につうずる心性があるのかもしれないと思うと、不思議な感じがする。

 

カテゴリー: 未分類 | 1件のコメント

心の安らぎ (!?)

震災後、結婚相談所に赴く人が増えているという。シングルで生きていこうとしてきた人であっても、災害を目の当たりにして、親兄弟とは別に、みずからの家庭をもちたいと思うようになったということか。

マイホーム。ホーム、故郷、心の安らぐ場。

いざ、生涯の伴侶を求めようとすると経済的条件が問題になる。最近発表された内閣府「結婚・家族形成に関する調査」にもあるように、年収や雇用形態が結婚に大きな影響を与えている。

男性既婚者の割合をみると、年収300万円未満の層では、20歳代(8.7%)、30歳代(9.3%)である。年収が300万円以上400万円未満では、20歳代(25.7%)、30歳代(26.5%)。年収300万円が壁になっている。

かつて、結婚相手に望む条件として「三高(高学歴・高収入・高身長)」が取りざたされた。この条件はバブル期の話題(あだ花)として終わったのかも知れない。

経済的条件よりは、精神的な安心感 (?!)を与えてくれるかどうか、が意思決定のポイントになったのでしょうか。

『八日目の蝉』。

「まだ朝ご飯たべていないんです」という、法的には母親ではない、〈母親〉の叫び。

結婚観、親子(母娘)観、家族観、・・・。

現在の若者(そして親たち)が望む条件はなんなのだろうか。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

オアシス

都会のオアシス(oasis)という表現がある。

オアシスを出て15分ほど歩けば、都会の〈喧噪〉の真っ只中。

東京は砂漠のようでもあるが、ちょっとしたオアシスがあちこちにある。

時間に追われ、緊張を強いられる都市生活を送っていると「ふぅーーー」と息を抜く機会も失ってしまう。連休は終わったが「ちょっと一息」する時間を大切にしたい。

緑豊かな場所に、美術館があって、絵を楽しめるのも嬉しい。

あえて写真の場所は明かさないことにしよう。

どんな人でも〈お気に入りのオアシス〉を大事にしていると思う。

カテゴリー: 未分類 | 1件のコメント

こどもの数

今日はこどもの日。

社説はかならず、この日にちなんだ内容を掲載する。

例えば、『朝日』は「守ってあげたい」と題して、震災にあった子供たちを中心に綴られている。こどもが巻き込まれる事件・事故は枚挙にいとまがない。少子化が言われるようになって久しいが、基本データを確認しておきたい。

総務省がこどもの日にあわせて「我が国のこどもの数」をまとめていた。2011年5月2日に「統計トピックスNo.51」として発表された。次の三点に要約されていた。

  1. こどもの数は1693万人、30年連続の減少
  2. こどもの割合は13.2%、37年連続の低下
  3. こどもの割合は諸外国と比べ最低水準

1693万人(2011年4月1日現在)は過去最低のこどもの数。1955年から10年毎のこどもの割合をみると、33.4% (1955年)、25.6% (1965年)、24.3% (1975年)、21.5% (1985年)、16.0% (1995年)、13.8% (2005年)と推移し、2011年に「13.2%」 になったわけである。

他方で、1955年に5.3%であった65歳以上人口の割合は、1997年にこどもの割合を上回り、2011年には「23.2%」になった。まさしく、少子高齢化。

定年を迎えつつある団塊世代のこども時代。

三人に一人がこども、二十人に一人が65歳以上であった。どこにいってもたくさんのこどもがいたというイメージ。教室が足りなくて、二部授業もおこなわれた。教室も机・椅子が詰め込まれていた。半世紀前の日本と同様な国 (三人に一人がこども)として挙げられるのが、フィリピン (33.9%、2008年7月1日推計)、ミャンマー (32.6%、2004年7月1日推計)である。

中国でも急速に少子高齢化が進んでいる(『日経新聞』2011年4月28日付)。65歳以上人口比率が8.9%に上昇している。前回調査(2000年)に比して1.9ポイント上昇。さらに長期にわたる一人っ子政策によりこどもの数が減っていて、2015年から労働力人口が減少するという見方がでているという。

統計数字だけ眺めていると味気ない。言うまでもなく、現在の数値データにいたる時間の経過、そして背後にあるさまざまな状況を考えねばならない。いまのこどもたちの未来に思いをはせながら、今日一日、総務省のデータを眺めてみようと思う。



カテゴリー: 未分類 | 1件のコメント

もし・・・ならば

「もし○○ならば、・・・」という一言は、軽い話を始めたい時にしばしばもちだされる。例えば、もし子供に戻れるならば、もし鳥のように空を飛べるならば、・・・、と言う類である。

私たちは時空を自由に飛び回ることはできない。〈もしも〉望む時代、好きな場所に思うがまま身をおけるとすれば、さまざまな問題が瞬時に片付くようにも思える。

毎日の〈痛勤〉に体力を消耗している人であれば、仮想のドアを開けると職場になっていることを夢想するかも知れない。瞬間移動するのだから〈痛勤問題〉は解決する。それに単身赴任もなくなるでしょう。

歴史の針を戻すこともできない。できないからこそ、人は「時を自由に移動」する道具を夢想する。物語に時間を自由に移動できる設定が登場するわけです。視聴率が高いと評判のドラマ「JIN〜仁〜」もその一つ。江戸時代にタイムスリップしてしまった現代の脳外科医が主人公。歴史上の重要人物の病を治療する場面になると、完治させてしまえば歴史を変えてしまうのではないか、と悩んだりする。そこにドラマが生まれる。現代から過去へ移動するのとは逆に、未来から現代に来るという話もある。珈琲飲料のCMに登場する〈宇宙人〉もその一つ。宇宙人の目から見た、現代=地球人の奇妙さに気づかせるという設定。

ドラマやCMではなく、現実に目を転じよう。人々に大きな悲しみをもたらした出来事があったとする。出来事の前日に戻れるならば、悲しみに出会わなくて済む。戻りたいと人々は切に願う。でも、それは果たせない。

いま何が欲しいですかと問われたとき、多くを喪った人は「何事もなく平穏に過ごしていた日に戻りたい」と。

現実には実現できない事態を想起してみる。「もし○○ならば」と想像することで、現実の〈重さ〉を知ることもできる。現実から逃避するためではなく、平穏から離れてしまった〈いま〉を再考するための〈もしも〉という思考があってもいい。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

みどり

前日の強風と雨。

そして今朝、きれいな青空が広がっていた。

この季節は日一日と緑が濃くなっていく。

「日一日」という表現を実感する季節。

暑さが本格化する前のひととき。

一週間のうちに何日も歩く道。

緑が広がっていく季節はほんとうにすがすがしい。

 

カテゴリー: 未分類 | 1件のコメント

若者たち

NHK BSブレミアムで始まった「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」。家族編のひとつが「若者たち」(1967年)だった。両親を亡くした五人兄妹のたくましく生活する姿を描いている映画。

43年前の作品。当時20歳だった若者は、いまや63歳。定年が60歳の企業に勤めていた人であれば、定年を迎えている。周りから口うるさいと邪険にされ始める歳でもある。そんな人たちが、おそらく自分の「青春時代」を振り返りながら観たに違いない。僕もその一人。

社会派の映画とも言われていた。描かれていたのはどんな社会だったろうか。物語の筋を追わずに、画面に登場する〈素材〉のさまざまを書き上げてみたらどうだろうか。

映画を思い出しながら、・・・。

五人兄妹、学生運動、どんぶり飯、ちゃぶ台、受験浪人、工場での労働、下請け労働者と本社社員との格差、アルバイト、広島原爆、被爆者との結婚、女性の自立、学歴と昇進、中小企業の弱さ、怒鳴りあい、殴り合う兄弟げんか、弱い者への眼差し、兄妹同士の信頼、恋愛、お金、働く者同士の支え合い、昼休みのコーラス、バレーポール、トラック運転手、偏見、政治不信、組合運動、・・・。

そして、2011年の現在(いま)。対応する〈素材〉を書き上げ、それらを使ったときに〈いまの若者たち〉の物語はどのように展開していくだろう。

一人っ子、あるいは二人兄妹(兄弟)がほとんどになって五人兄妹は稀な存在。けんかしようにも相手がいない。60年代末のような学生運動の盛り上がりもない。けれども、すべてが変わってしまったわけでもない。

変わったものと変わらないもの。

あるいは

変えなくてはならないもの。

映画「若者たち」が描いた時代との対比において現在(いま)を考える時間を、定年退職組といまの若者がもてればいいな、と切実に思った。

かつての若者たちが口ずさんだ歌。

♫『君の行く道は/果てしなく遠い/なのになぜ/歯をくいしばり

君は行くのか/そんなにしてまで/・・・』♫

カテゴリー: 未分類 | コメントする

〈大きさ〉を実感するために

アメリカ合衆国の大手金融機関トップが受け取る報酬を引き上げ始めた(『日本経済新聞』4月12日付)。金融危機後に批判の的になった高額報酬が復活しつつあるとの報道である。一例として挙げられていたのが、JPモルガン・チェースのダイモン氏(CEO)の報酬。前年比50%増の総額2300万ドル(約19億6000万円)。高額の報酬を得ている人は金融業界以外にもいる。

約20億円と聞かされたときに、何を思うだろうか。

「貢献に応じた報酬であるはずだからそのまま受け入れるだけです」、「自分が汗水流して労働しても、たかだか○○万円なのに」、「自分も高額報酬を得られるように起業したい」などなど。

日常経験から離れた〈大きさ〉を示されたときに、慣れ親しんだ〈なにか〉に置き換える。人間の労働(はたらき)への見返りとして報酬が与えられているのだから、具体的な働き方を想起すればいいだろう。時給1000円で働いている若者は、1日8時間で8000円得る。月に25日働けば、20万円。年収にして240万円。大学を卒業して定年まで勤め上げれば、だいたい40年間になる。大卒男性の生涯賃金は3億円程度と言われているが、この若者が上の条件で40年間働き続けたとすれば、9600万円、つまり約1億円が生涯賃金になる。

細かい点をばっさりと端折ってしまう。一人一年の働きが、約7人分(20億円÷3億円)、あるいは20人分の生涯をつうじた働きに相当する、と言い換えられる。ある人の働きを別の人に置き換えると、その〈大きさ〉を少しは実感できる。

目に見えないモノ、その測り方(単位)も了解しがたい場合に、モノの大きさを実感するのに有効な方法は何だろうか。現在進行中の出来事の〈重大さ〉が納得できるために必要なこと、そして、いま問われていることは、そんなことのような気がする。コアにおかれるべきは、〈生き続けるためには〉という視点だろう。

カテゴリー: 未分類 | 2件のコメント